女優として活躍する芳根京子さん。
NHK連続テレビ小説『べっぴんさん』でブレイクを果たし、
その後も数々の作品で実力を見せつけている彼女ですが、その背景には家族の深い愛情と支えがありました。
今回は、芳根京子さんを支えてきた家族について、詳しくご紹介していきます。
芳根京子の家族構成まとめ!
芳根京子さんの家族は、父・母・兄・祖母の5人家族に、大切なペットたちを加えた温かい家庭です。
- 父:芳根聡さん
- 母:芳根千賀子さん
- 兄(5歳年上)
- 祖母
- 本人:芳根京子さん
それぞれのメンバーについて、詳しく見ていきましょう。
芳根京子の父親は年商2億円の元実業家!?
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- 名前:芳根聡(よしね さとし)
- 生年月日:1960年4月5日
- 年齢:64歳(2025年1月現在)
- 出身校:東京都立富士高等学校 → 立教大学
スーパークリエイターとしての活躍
芳根聡さんは、元々広告業界で高い評価を受けていたクリエイターでした。
その実力を買われ、JR東日本や日本経済新聞といった大手企業の広告やイベントを手掛けていました。
スーパータンク設立
1992年、32歳の時に広告制作会社「スーパータンク」を設立。
会社は急成長を遂げ、以下のような実績を残しています:
- JR東日本や日経新聞などの大手企業の広告制作
- 大規模イベントの企画・運営
- BS放送の番組制作
- ピーク時の年商は2億円
芳根の父親・聡さん(56)は、かつて広告の世界で成功を収めたクリエーター。
92年に「スーパータンク」という会社を興し、
JR東日本や日経新聞などの広告やイベントを手掛けたほか、
BS放送の番組制作も行うなど、ピーク時は年商2億円を稼ぐまでになっていた。
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/11150557/?all=1#goog_rewarded
ライブドア事件の影響
2006年1月、堀江貴文氏が代表を務めていたライブドアの証券取引法違反事件が発生。
当時、スーパータンクはライブドアと共同で広告事業を展開していたため、
この事件の影響で経営が急速に悪化しました。
株式会社オーエスによる救済
経営危機に陥った中、映像プロジェクターなどのハードウェアを扱う株式会社オーエスが救いの手を差し伸べます。
オーエスは新規分野開拓の一環として約2000万円を出資し、スーパータンクを子会社化しました。
退職までの経緯
しかし、オーエスの社長との経営方針の違いが表面化。
ある時、オーエスの社長が新企画を提案した際、
芳根聡さんは「あなたはこの分野では素人。口を出さないでくれ」と反発。
結果として1年余りで退職することになりました。
北海道での農業体験
退職後、芳根聡さんは一家の北海道移住を計画。
単身でアイヌの里を訪れ、数カ月間農作業を手伝いました。
この時期にシャーマンと出会い、スピリチュアルにも目覚めたとされています。
多様な職業遍歴
その後、様々な職業に就きながら家族を養っていきました:
- 郵便局での配達スタッフ
- 高円寺での飲食店「天よしねや」の経営
- 訪問介護の仕事
家族への思い
経営者から様々な職業を経験する中でも、家族への思いは常に強く持ち続けていました。
特に経営危機の際には「金がなくなり、パンを齧る日々で、家族に苦労を掛けている」と涙を流すほど、
家族を気遣う一面も。
芳根京子との関係
現在も芳根京子さんとの親子関係は良好で、
父の日には手作りのiPhoneケースをプレゼントされるなど、温かい親子の絆を保っています。
娘の女優としての活躍を誇りに思う一方で、
芳根京子さんからは2021年に感謝の気持ちを込めて新しい家をプレゼントされるなど、
互いを思いやる関係を築いています。
「実家を建て替えているんです。昨年末から解体工事をして、7月下旬に完成。
費用の大半は京子ちゃんが出し、土地も彼女の名義で買いました」
https://www.jprime.jp/articles/-/21757?display=b#goog_rewarded
近況
2025年現在は訪問介護の仕事に従事していますが、介護先の親族とのトラブルが報じられています。
詳細は明らかになっていませんが、この件に関しては法的な解決が図られているようです。
芳根聡さんの人生は、広告業界での成功から突然の経営危機、
そして様々な職業への転身と、まさに波乱万丈なものでした。
しかし、どんな状況でも家族を大切にする姿勢は変わらず、その強い意志と行動力は、
娘である芳根京子さんの芸能活動にも大きな影響を与えているのかもしれません。
芳根京子の母親はスーパーポジティブ!
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- 名前:芳根千賀子(よしね ちかこ)
- 出身地:北海道ニセコ町
- 学歴:美術大学卒業
スーパーポジティブな性格
芳根京子さんは母親のことを「スーパーポジティブマザー」と呼んでいます。
常に前向きで明るい性格の持ち主で、「ありがたいねぇ」が口癖だそうです。
この母親の明るい性格は、家族が困難に直面した時も大きな支えとなりました。
「うちの母はスーパーポジティブで、感謝の気持ちを忘れちゃだめよ、
ありがたいねぇって言うのが口癖です。
そのためか、家族みんなが、ありがとう、ありがとうってよく言っています(笑)」
https://dot.asahi.com/articles/-/110960?page=1
感謝の心を大切にする教育
「感謝の気持ちを忘れちゃだめよ」と常々家族に語りかけ、
その影響で芳根家では「ありがとう」の言葉が自然と飛び交う家庭になっているそうです。
この教えは芳根京子さんの人生観にも大きな影響を与えています。
娘の病気との闘い
芳根京子さんが中学2年生の時にギラン・バレー症候群を患った際、
千賀子さんは毎日のように神社へ参拝し、娘の回復を祈り続けました。
約1年間、学校に通うことが困難だった時期も、常に娘に寄り添い、前向きな言葉で支え続けました。
家族の支え手として
2006年、夫の会社が経営危機に陥った際も、明るさを失わず家族を支えました。
経済的に苦しい時期も、クリスマスや誕生日など家族の記念日は必ず祝うなど、家族の絆を大切にしてきました。
料理の腕前
料理の腕前は非常に高く、夫が経営していた「天よしねや」では週末に腕を振るうこともありました。
芳根京子さんも母の料理を「幸せじゃ」と表現するほどで、
この影響もあり、芳根京子さん自身も女優になる前は料理の専門学校への進学を考えていたほどでした。
芸術的センス
美術大学を卒業しており、芸術的なセンスも持ち合わせています。
現在も芳根京子さんと美術館巡りを楽しむなど、芸術への造詣が深い一面も見せています。
芳根は、「私の母が美大出身ということもあり、母と一緒に美術館に行く機会はあったので、
もっとアートに触れたい気持ちはあり、今回、飛び込ませていただきました。
私のように詳しくはないけれど、
興味がある方に足を運んでいただくきっかけのひとつになるとうれしいです」とアピールした。
https://www.chunichi.co.jp/article/763684
ニセコでの思い出
北海道ニセコ町出身の千賀子さんは、
実家での山菜採りやジャム作りを家族の大切な行事として継承しています。
この北海道での体験は、芳根家の貴重な思い出となっています。
母の日のエピソード
芳根京子さんは母の日には必ず手作りのプレゼントを贈る習慣があります。
特に印象的なのは、カーネーションにメッセージカードを添えた際、母が感動のあまり涙を流したエピソードです。
サプライズを楽しむ関係
母の日のプレゼントは、当日まで一切話題にせず、サプライズで驚かせるのが芳根家流だそうです。
このような遊び心のある関係性も、母娘の絆を深めています。
芳根京子の兄は5歳年上!
- 名前:不明
- 生年月日:1992年7月20日
- 年齢:32歳(2025年1月現在)
- 芳根京子さんとは5歳差
芳根京子さんの5歳年上の兄は、1992年7月20日生まれの32歳(2025年1月現在)。
優しく家族思いの性格で、特に妹である芳根京子さんとは深い絆で結ばれています。
幼少期から音楽的な環境で育った兄は、ロック音楽を愛好し、自宅にドラムやベースを所有しているそうです。
叔母がジャズピアニスト、叔父がコントラバス奏者という音楽一家の一員として、
自然と音楽的な素養も身についていったのでしょう。
中学時代の困難
しかし、その人生は必ずしも順風満帆ではありませんでした。
中学生の時期、父親の会社「スーパータンク」が経営危機に陥った時期と重なり、不登校を経験します。
2006年に起きたライブドア事件の影響で家族が経済的困難に直面し、
その環境の変化や精神的プレッシャーが大きく影響したと言われています。
それでも、この困難な時期を乗り越え、高校を無事に卒業。
その後は社会人として働き始め、現在は安定した生活を送っています。
一時期、キャノン勤務という噂も流れましたが、この情報の真偽は確認されていません。
芳根京子との絆
芳根京子さんとの兄妹関係は、年齢を重ねるにつれて深まっていきました。
小学生時代には年齢差もあり兄妹喧嘩をすることもあったそうですが、現在では極めて良好な関係を築いています。
芳根京子さん本人も、20歳を超えてから「兄弟っていいな」と感じる機会が増えたと語っています。
私は兄と5つ離れているので、小学生の頃はあったと思うんですが、今はもうないですね。
最近は仕事が早く終わったら一緒にごはん食べに行ったりもしますし。
兄弟っていいなと思う機会は、二十歳を超えて増えたように思います。
https://www.ch-files.net/bossbaby/
心温まるエピソード
二人の絆を物語るエピソードは数多くあります。
たとえば、普段は料理をしない兄が、
芳根京子さんの誕生日に手作りケーキを作ってサプライズを仕掛けたことがありました。
同じ日に生春巻きまで作り、その料理の腕前に芳根京子さんは大変感激したそうです。
また、仕事が早く終わった際には一緒に食事に行くことも多く、
芳根京子さんが兄の誕生日に蟹しゃぶをごちそうしたり、
その後カラオケに行って母親も合流したりと、家族で楽しい時間を過ごしています。
買い物やディズニーランドにも一緒に出かけ、
祖母を含めた温泉旅行にも参加するなど、家族との時間を大切にしています。
朝ドラでの印象的な出来事
特に印象的なのは、芳根京子さんが出演したNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』での出来事です。
一般人である兄が、撮影スタッフと知らない間に連絡先を交換し仲良くなっていたというエピソードがあります。
スタッフから食事に誘われた芳根京子さんが行ってみると、
既に両親と兄が先に到着していたという出来事もありました。
この社交的な一面は、兄の人柄をよく表しているエピソードと言えるでしょう。
一般人であるはずの兄が、朝ドラのスタッフと知らない間に連絡先を交換し、
仲良くなりすぎていて、最近少しムカっとしていると告白。
更にスタッフから食事に誘われて行くと、
既に両親と兄がいて何故自分が最後なのかとショックを受けたことを話して…
https://mdpr.jp/news/detail/1781470
現在の生活
現在、兄は社会人として安定した生活を送りながら、恋人との幸せな時間も過ごしているそうです。
芳根京子さんが明かしたところによると、兄と彼女と3人でゲームをして過ごすこともあるとのこと。
家族や恋人との良好な関係を築きながら、充実した日々を送っています。
中学時代の不登校という困難を乗り越え、今では妹である芳根京子さんの良き理解者となった兄。
音楽を愛し、社交的で家族思いな彼の存在は、芳根家になくてはならないものとなっています。
これからも兄妹の絆は、さらに深まっていくことでしょう。
芳根京子の祖母は「おでんの日」の考案者!?
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芳根京子さんの実家では、父方の祖母と一緒に暮らしています。
祖母は家族の中心的な存在として、温かい家庭の雰囲気を作り出してきました。
特に「おでんの日」という家族の伝統を作り出したのは祖母で、
この日は必ず家族全員でおでんを囲んで食事をする大切な習慣となっています。
また、祖母は芳根京子さんのブログの熱心な読者でもあり、
更新が少ないときには「ブログの更新が少ない」と叱ることもあったそうです。
このエピソードはファンの間で「祖母がファンの気持ちを代弁してくれた」と話題になりました。
思い出の指輪
父方の祖母は、芳根京子さんの20歳の誕生日に特別な指輪をプレゼントしました。
母方の祖母から譲られたネックレスが大切な思い出となっていたため、
父方の祖母にも一生大事にできるものをお願いしたそうです。
祖母と二人でアクセサリーショップに行き、派手すぎずシンプルで長く使えるデザインを選びました。
この指輪は芳根京子さんにとって特別な意味を持ち、重要な場面でのみ身につけています。
初めて着用したのは、フジテレビ月9ドラマ『海月姫』の宣伝でフジテレビに出演した日でした。
祖母に「今日、テレビに着けて出るね」と報告してから出かけたそうです。
温泉旅行の思い出
芳根京子さんは家族とともに祖母を温泉旅行に連れて行くことを恒例行事にしています。
特に2016年の温泉旅行では、兄と祖母と3人で楽しい時間を過ごしました。
「たくさんのごちそうを食べて、温泉でのんびりできた」と芳根京子さんは笑顔で振り返っています。
母方の祖母の遺産
一方、母方の祖母は若い頃、北海道ニセコ町で洋裁の先生をしていました。
そのため、芳根京子さんがNHK朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」でヒロインに抜擢された際には、
「祖母にこのドラマを見てもらいたかった」と切実な思いを語っています。
母方の祖母は既に他界していますが、亡くなる際に芳根京子さんに大切なネックレスを譲りました。
このネックレスは芳根京子さんにとってお守りのような存在となり、
「大事なオーディションのときなど、力が必要なときに身につけてきた」と語っています。
「以前、母方の祖母が亡くなる時に、『おばあちゃんがずっと着けていたものをあげる』って、
ネックレスをもらったことがあるんです。
それがすごくうれしくて、オーディションなど力が欲しいときに着けて、
いろんなことを乗り越えてきました。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34665280Y8A820C1000000/
祖母たちから受け継いだもの
芳根京子さんは両方の祖母から、形のある贈り物だけでなく、多くの大切なものを受け継いでいます。
父方の祖母からは家族の絆を大切にする心を、
母方の祖母からは裁縫の思い出と共に芸術的なセンスを受け継いでいます。
父方の祖母が作り出した「おでんの日」の伝統は、今でも家族の大切な習慣として続いており、
家族の絆を深める機会となっています。
また、母方の祖母との思い出は、「べっぴんさん」での演技にも影響を与えたと言えるでしょう。
おわりに
波乱万丈な人生を歩んできた芳根家ですが、どんな時も互いを思いやり、支え合ってきました。
その強い絆が、芳根京子さんの女優としての成長を支え、今の活躍につながっているのだと感じます。
これからも、芳根京子さんと家族の幸せな物語は続いていくことでしょう。
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