モデルとして活動するほか、タレントやジュエリーデザイナー、
化粧品プロデュースなどで多方面にわたって活躍しているアンミカさん。
その明るいキャラクターと前向きな姿勢で多くの人に愛されていますが、
彼女の家族構成について詳しく知っている方は意外と少ないのではないでしょうか。
この記事では、アンミカさんの家族構成について、実家の家族から現在の夫まで、詳しく解説していきます。
彼女の人生の土台となった家族の絆や、壮絶な幼少期のエピソードなども含めて、包括的にご紹介します。
アンミカ家族構成まとめ!

アンミカさんの家族構成について、まず全体像を把握しましょう。
私は5人きょうだいの次女として生まれました。兄、姉、妹、弟がいて、私はど真ん中。
みんな年齢が近くて、ほぼ年子のようなものですと本人が語っているように、大家族で育ちました。
- 父親(故人):ラーメン屋社員
- 母親(故人):化粧品会社勤務、保険外交員
- 兄:行政書士、社会保険労務士
- 姉:歯科衛生士
- 本人:アンミカさん
- 妹:エステサロン経営者
- 弟:鍼灸師、柔道整復師
- 夫:セオドール・ミラー(アメリカ人実業家)
アンミカは7人家族で、家族構成は「父親・母親・兄・姉・本人・妹・弟」です。
韓国済州島生まれの韓国人として生まれ、4歳の時に家族で日本に移住しています。
アンミカの父親の職業はラーメン屋社員だった!?

アンミカさんの父親は韓国出身で、苗字は「安(あん)」です。
父親も病気が原因で2001年にこの世を去っています。
アンミカさんが売れ始めた時期と重なる、とても辛い出来事でした。
父親の職業と性格
アンミカさんの父親の職業について調査してみた結果、ラーメン屋の社員だったことが分かりました。
多くの人が誤解しがちですが、実家がラーメン屋を経営していたわけではなく、
父親はラーメン屋に社員として勤務していました。
アンミカさんの父親は明るくユーモラスな人柄で、家族の中はいつも笑顔が絶えなかったそうです。
アンミカさん自身も父親が怒ったり、声を荒げたりする姿を見たことがないと語っていましたと回想しており、
とても優しい父親だったことがうかがえます。
父親の夢への理解とサポート
特に印象的なのは、アンミカさんがモデルになりたいと夢を打ち明けた時のエピソードです。
「トップモデルになるまで実家に来るな!」と夢を応援してくれたそうです。
この言葉は一見厳しく聞こえますが、娘の夢を本気で応援する父親の愛情が込められていました。
苦難の時期
アンミカさんの家族は度重なる困難に見舞われました。
生野区ではラーメン屋を2店舗経営を任されていたそうです。
しかし、どちらも火事で焼失してしまいました。この火事により、一家は大きな打撃を受けることになります。
中学時代、アンミカの家庭は苦難の連続だった。
母が入退院を繰り返し、家が火事になり立ち退き。
その後始めた居酒屋も失敗し父は出稼ぎにという状況で、父親は家族のために必死に働き続けました。
アンミカの母親の死因はがん!?

アンミカさんの母親は、韓国・済州島の出身で、
アンミカさんが幼い頃に家族で大阪市生野区に移住しています。
アンミカさんの前向きな性格や美に対する意識は、
母親から受け継いだものが大きいといえるでしょう。
母親の職業と働きぶり
アンミカさんが幼い頃、母親は化粧品会社に勤務し女性の美や接客、
花嫁マナーの勉強などをしていたとのこと。
また、保険の外交員やラーメン屋の手伝いなど、朝から晩まで働きづめの日々を送っていました。
体が弱かったにもかかわらず、家計を支えるために懸命に働く母親の姿は、
アンミカさんの人生観に大きな影響を与えました。
どんなに忙しくても、帰宅後は1時間ほど子どもたちと話をするなど、
子どもとの時間も大事にしていたそうです。
母親から受けた美の教え
アンミカさんが現在も大切にしている美意識は、母親から教わったものです。
「美人というのは、目鼻立ちがきれいな人だけじゃない。
一緒にいて心地が良いな、気持ちが良いなと思える人が、本当の美人なのよ」という言葉でした。
この教えと共に、母親はアンミカさんに「4つの魔法」を伝授しました:
- 姿勢をよくすること
- 相手の目を見ながら話を聞くこと
- 口角を上げて笑顔になること
- 人の話をよく聞くこと
母親の病気と最期
アンミカさんが小学低学年のときに母親が癌を発症し、中学生のときに亡くなったとのこと。
その後6年間にわたり闘病生活を送りましたが、43歳の若さでこの世を去りました。
闘病中も明るく振る舞い、子どもたちを励まし続けた母親の姿は、アンミカさんの心に強く残っています。
アンミカさんの前向きな性格は、まさに母親から受け継いだものなのです。
アンミカは5人兄弟の真ん中!

アンミカさんの兄弟は皆、それぞれの分野で成功を収めています。
兄弟全員がそれぞれ別々の道に歩んでいるものの、
どれもその分野で活躍するにはとても大変な道のりがあります。
長男(兄)- 行政書士・社会保険労務士
兄は昔から正義感が強く、行政書士と社会保険労務士をしています。
兄弟の中でもリーダー的存在で、
兄弟の中でムードメーカー的存在の兄として家族をまとめる役割を果たしています。
長女(姉)- 歯科衛生士
姉は歯科衛生士で、しっとり品のある女性。
料理上手なうえに、音楽の才能にも恵まれ、趣味でサルサを踊っています。
アンミカと顔もスタイルもそっくりな姉として知られており、美的センスも共通しているようです。
三女(妹)- エステサロン経営者
妹は賢くてなんでも覚えるのが早く、今はエステサロンを運営中。
美容関係の仕事という点で、アンミカさんと共通している部分があります。
ボディーセラピストで、アンミカにそっくりな妹として、顔立ちも似ているようです。
次男(弟)- 鍼灸師・柔道整復師
弟は他人の身体を診る職に従事しています。
具体的には鍼灸師で柔道整復師の弟として、医療関係の仕事に就いています。
兄弟の現在の関係
兄弟間の仲は現在も良好だそうで、普段はそれぞれ離れて暮らしているものの、
年に6,7回くらいは必ず会うとのこと。
さらに、SNSでも兄弟全員のグループを作って会話したり、
要件が無くても連絡し合うくらい仲が良いことも語っていました。
家族全員そろっての記念写真をSNSに公開していました。
その写真を見た人からは「凄く似てる」と話題になったほど、家族の絆の深さが伝わってきます。
アンミカの旦那はテディで仕事は実業家!?

2012年7月17日、制作会社エンパイア・エンターテインメント・ジャパン最高経営責任者(CEO)の
米国人セオドール・ミラー(1971年生まれ)と結婚したアンミカさん。
夫のセオドール・ミラーさんについて詳しく見ていきましょう。
- 名前:セオドール・ミラー(Theodore Miller)
- 生年月日:1971年1月15日
- 年齢:54歳(2025年9月現在)
- 出身:アメリカ合衆国ニューヨーク
- 身長:約180cm
- 職業:実業家、CEO
セオドール・ミラーの学歴と経歴
ニューヨーク大学で博士号を取得し、早稲田大学での交換留学経験もあります。
大学時代に日本に留学し、卒業後に電通に入社していたセオドール・ミラーさんは、
2005年にエンパイア・エンターテイメント・ジャパンを設立しました。
過去にはライブドアの役員を務めた経験もあり、日本のビジネス界での豊富な経験を持っています。
セオドール・ミラーの家族背景
セオドール・ミラーの兄は、米アカデミー賞受賞作品『マネーボール』や『カポーティ』監督の、
ベネット・ミラーである。
長男はプロデューサー役で、次男は監督役。
私もプロデューサーのように立ちまわっていました
(長男のJB・ミラーはエンパイアエンターテイメントUSのPresident & CEOであり、
次男は映画監督のベネット・ミラーと、まさに華麗なる一族の一員です。
現在の職業と事業
現在は、イベント制作会社「エンパイアエンターテインメントジャパン」の代表取締役社長を務めています。
イベント企画などの事業を手掛ける『株式会社エンパイアエンターテイメント・ジャパン』の
代表取締役社長を務めています。
同社は大規模なイベントプロデュースを手がけており、年商は15億円以上とも言われています。
アンミカとの出会いと馴れ初め
アンミカさんとセオドール・ミラーさんの出会いは、とても意外なものでした。
2010年頃、アンミカさんが出演していたテレビ番組「魔女たちの22時」に、
パリス・ヒルトンがシークレットゲストとして出演予定でした。
しかし、パリス・ヒルトンが入国できなくなり、出演がキャンセルになってしまいました。
当時、パリス・ヒルトンの日本での仕事を担当していたのがセオドール・ミラーさんでした。
彼は、お詫びの意味を込めて慰労ゴルフコンペを開催し、そこでアンミカさんと出会ったのです。
運命的な出会い
アンミカさんは、セオドール・ミラーさんとの出会いの約1か月前に、
宮崎県の「国際結婚の道しるべがまつられている」神社を参拝していました。
その後、シルバーの服を着た男性から求婚される夢を4回も見たそうです。
ゴルフコンペでセオドール・ミラーさんの後ろ姿を見たとき、
アンミカさんは夢で見た男性と同じだと感じ、運命を感じたといいます。
結婚まで
2010年から交際をスタートした二人は、約2年間の交際期間を経て、2012年7月17日に結婚しました。
結婚当時、アンミカさんは40歳、セオドール・ミラーさんは41歳でした。
結婚式では、ニューヨークの高級ブランド「リーム・アクラ」のドレスや、
総額2億円とも言われる「ディアディクト」のジュエリーが用意されるなど、豪華絢爛な式となりました。
アンミカの子供はいない!

アンミカさんとセオドール・ミラーさんには、現在子供はいません。
アンミカさんは結婚後、4年間不妊治療に取り組みましたが、46歳で治療を卒業することを決意しました。
不妊治療の経験
「その結果、子宮奇形だったんですが、卵管も通っているし妊娠は不可能ではないと。
ただ、AMH(抗ミュラー管ホルモン=卵巣に成長中の卵子がどれだけあるかを測るもの)と、
FSH(卵胞刺激ホルモン=原始卵胞の発育を促す作用をする)の数値が自然妊娠には厳しいとのことで、
人工授精をすすめられたんです」とアンミカさん自身が治療の詳細を語っています。
夫のサポート
治療中、セオドール・ミラーさんは
「誰かと比べはいけない、私は君と過ごせて幸せだ」とアンミカさんを励ましたそうです。
夫の深い愛情とサポートが、アンミカさんの心の支えとなったことがうかがえます。
現在の夫婦関係
アンミカさんは毎朝、セオドール・ミラーさんより少し早く起きて、彼の寝顔を見ることが好きなのだそう。
それだけで幸せを感じるといいます。
子供がいなくても、二人は深い愛情で結ばれた夫婦生活を送っています。
アンミカの実家はラーメン屋で過去に火事に見舞われた!?

実家の場所と住環境
アンミカの実家があった場所は大阪の阿倍野区で、四畳半一間に家族7人で暮らしていたそうです。
幼少期は裕福とはいえず狭い長屋に住み、それがコンプレックスだったこともあるそう。
18歳までは風呂付きの家に住んだことがなく、学生時代は新聞配達をして家計を助けていたことも。
貧困との闘い
昭和47年、韓国で生まれたアンミカは3歳の時に来日。
幼少期は四畳半一間に家族7人で暮らし、中学生になると家計を助けるため新聞配達のアルバイトを始めた。
兄弟・姉妹はそれぞれバイトをして、
アンミカさんは小学生の頃から朝刊の新聞配達のバイトをはじめ、そのバイトは7年間続いたそうです。
実家の災難
アンミカさんの実家は度重なる災難に見舞われました。
アンミカは実家が商店街の近くでラーメン屋をしていたことを明かしていますが、
事業が軌道に乗り始めた時に火事が起きてしまったそうです。
家業のラーメン屋さんが成功して、やっと普通の人以上の生活になりかけたときに、
お店が自然発火で火事になったんです。
そしてもう1店舗、お父さんが住み込みで行っていた映画館の1階にあった支店が、
実家の火事の半年後にたまたま、映画館への放火で全焼してという状況でした。
現在の実家
アンミカの両親は他界しており、現在は姉と弟が大阪の実家で暮らしているようです。
兄弟たちはそれぞれ独立していますが、実家を拠点として家族の絆を保っています。
アンミカのプロフィール!
- 本名(韓国名):アンミガ
- 本名:安 美佳(アン ミガ)
- 生年月日:1972年3月25日
- 年齢:53歳(2025年9月現在)
- 身長:171cm
- 血液型:O型
- 出身地:韓国済州島(4歳で大阪移住)
- 職業:モデル、タレント、ジュエリーデザイナー、ファッションデザイナーetc…
- 所属:テンカラット
1990年、大阪府立住吉高等学校を卒業。
その後、フランス・パリへ渡り、1993年モデルとしてビューティビースト、
アラカワシンイチロウなどのパリ・コレクション(パリコレ)に初参加した。
また、2002年4月から1年間、韓国延世大学校韓国語学堂に留学し、韓国語を学んでいます。
キャリアの始まり
高校を卒業した後はモデルを目指すためパリに移住。
モデルになれるように精力的に活動するも、ほとんどが門前払いか、
厳しい言葉とともに断られてしまったそうです。
その理由は「自分をよく見せる服を着ていない」というものでした。
その言葉を受けたアンミカさんは日本に帰国後、ファッションについて猛勉強。
その努力が実り、ファッションショーに出演していた時に声をかけられ、
イギリスのファッション誌『I・D』のモデルに抜擢されました。
現在の活動
現在、モデル業のほか、テレビ・ラジオ出演、ジュエリー・ファッションデザイナー、
化粧品プロデュース、エッセイ執筆や講演、シンガー女優業など、様々な方面で活動している。
特に、2009年韓国名誉広報大使となり、2013年初代大阪観光大使に就任したなど、
文化的な架け橋としても活動しています。
人生の転換点
アンミカさんの人生には いくつかの大きな転換点がありました。
幼少期の階段からの転落による顔のけがは長期間のコンプレックスとなりましたが、
母親の教えにより乗り越えました。
また、実家の2度の火事という災難も、家族の結束をより強固にする結果となりました。
まとめ
アンミカさんの家族構成について詳しく見てきましたが、彼女の人生は決して平坦ではありませんでした。
韓国から移住した両親、度重なる困難、
若くして亡くなった両親など、多くの試練を経験してきました。
しかし、そうした困難を乗り越えられたのは、間違いなく家族の愛情と絆があったからです。
兄弟全員が現在まで活躍出来ているのは、厳しい父親の教えがあったからこそできたのかもしれません。



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