日本映画界を代表する実力派俳優・佐藤浩市。
父は俳優の三國連太郎で、息子・寛一郎も俳優として活躍する三代続く芸能一家として知られています。
今回は佐藤浩市の家族構成について、父親・母親・妻・子供・実家に至るまで詳しく解説していきます。
トヨタのCMでも有名な「佐藤浩市部長」の家族関係の真実に迫ります。
佐藤浩市の家族構成まとめ!

- 父親:三國連太郎さん
- 母親:敏子さん
- 本人:佐藤浩市さん
- 妻:広田亜矢子さん
- 息子:寛一郎さん
- 元妻
- 子供
佐藤浩市は1960年12月10日、東京都新宿区神楽坂出身の俳優です。
現在64歳の彼を取り巻く家族構成は複雑で興味深いものがあります。
佐藤浩市の家族は、父である三國連太郎、母・敏子、
現在の妻・広田亜矢子、息子・寛一郎を中心とした構成になっています。
また、過去には元妻との間にも子供がおり、バツイチとしても知られています。
現在の佐藤浩市は1993年に広田亜矢子さんと結婚し、安定した家庭を築いています。
夫婦は現在も仲が良く、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいることで話題となっています。
佐藤浩市の父親の三國連太郎とは確執があった!?

三國連太郎のプロフィールと経歴
佐藤浩市の父親は、1923年1月20日生まれ、2013年4月14日に90歳で他界した俳優・三國連太郎です。
本名は佐藤政雄で、「釣りバカ日誌」シリーズのスーさん役でも親しまれた日本映画界の巨匠でした。
三國連太郎は群馬県太田市生まれ、静岡県出身で、身長178cmの堂々とした体格を持っていました。
彼は個性派俳優として日本映画界を牽引し、
圧倒的存在感をスクリーンに残した、日本を代表する名優の一人として評価されています。
複雑な家庭環境と親子関係
三國連太郎の人生は波瀾万丈で、生涯に4度結婚しています。
佐藤浩市は3度目の結婚相手との間に生まれた子供でした。
三國さんと母・敏子さんは、佐藤が11歳の時に家を出て離婚したため、
佐藤浩市は父親とは複雑な関係にありました。
しかし、2人は96年公開の映画「美味しんぼ」で共演し、作中でも親子の役を演じたことで知られています。
佐藤浩市は父親について
(父親としては)ひどいよ、そりゃあ。
一般論としての親子の会話っていうのは、できないです。
僕と彼の間に介在したのは役者という言葉だけ
と語っており、父親というより「役者・三國連太郎」として尊敬していたことがうかがえます。
父親から受けた影響
幼少期から父親の仕事場だった東映東京撮影所や日活調布撮影所や松竹大船撮影所に連れて行かれ、
早くから映画俳優を志すようになった佐藤浩市。
父親の背中を見て育ったことが、彼の俳優人生の原点となっています。
佐藤浩市の母親は神楽坂の芸者だった敏子さん!

母親の職業と人柄
佐藤浩市の母親は神楽坂の芸者として芸の道を極めた女性で、名前は敏子さんといいます。
踊りや三味線、さらには裁縫にまで秀でており、
芸の世界で生きる者としての誇りと気品を備えていた人物でした。
佐藤浩市さんの音楽活動にも熱心だが、そのルーツは母・敏子さんによるもの。
彼女は神楽坂で名を馳せた超売れっ子芸者で、芸事には非常に厳しかったとされ、
息子の芸術的センスに大きな影響を与えました。
母親との関係の変遷
少年時代は家で1人で過ごすことが多かった佐藤浩市。
その後、中学に上がる前に両親が離婚。
佐藤浩市は母親の元で育ったものの、思春期には複雑な感情を抱いていました。
佐藤浩市は父親に捨てられ傷ついている状態でしたが、母親と二人で暮らし始めます。
母親はスナック経営を始めます。佐藤浩市が中学に入ったころから、
何かと母に世話を焼いてくれた内縁の夫が一緒に暮らすようになりました
この状況を受け入れられなかった佐藤浩市は高校生の頃に家を出たそうです。
その後、お母さんとも確執ができ、
何十年も会っていませんでしたが、後に和解し介護することになります。
晩年の母親との関係
2008年7月、佐藤浩市さんの母が脳梗塞となって認知症を発症、
さらに内縁の夫だった男性も他界したため、母親を自宅に引き取って介護し始めたそうです。
この時期、佐藤浩市さんの母の介護をしているのが、
嫁の広田亜矢子さんで、家族の絆の深さを物語るエピソードとなっています。
佐藤浩市は異母兄弟がいる!?

異母兄弟の存在
佐藤浩市には複雑な家族構成があります。
父・三國連太郎の複数回の結婚により、異母兄弟が存在しています。
三國さんは中学を中退し、14歳で中国に密航。
現地でダンスホールのボーイや弁当売りなどをしながら生活。
帰国後の昭和16年(1941年)、5歳上の女性と結婚し、長女が生まれた。
長女は数え年2歳で早逝したという事実が番組で明らかになりました。
佐藤浩市は「僕も聞いてないですからね」「きょう知れて本当よかったです」と、
この事実に驚いたことが報じられています。
父親の複雑な結婚歴
その後、大阪の鉄工所などで働き、19歳で召集令状が届くと、汽車で九州へ逃げた。
しかし、母が居場所を通報し、佐賀で警察に捕まり、戦地・中国へ。
現地で終戦を迎え、収容所に入れられたが、早く帰国するため、偽装結婚。
昭和21年6月に帰国し、配線工事やバス運転手をしながら生活。
22年12月に娘が誕生し、結婚。しかし1年後には三國さんは家を出てしまう
このように、三國連太郎の波瀾万丈な人生により、
佐藤浩市には知らない異母兄弟が存在していたことが明らかになっています。
佐藤浩市の妻は舞台女優の広田亜矢子!

広田亜矢子さんのプロフィール
佐藤浩市さんの結婚した嫁は、広田亜矢子さんという方。
広田亜矢子さんは舞台女優だった方で、現在は芸能界を引退済みです。
年齢については佐藤浩市さんよりも10歳年下という情報があるため現在は50歳ぐらいだと思われます。
興味深いことに、広田亜矢子さんは、広田レオナの従妹で芸能一家の出身でもあります。
運命的な馴れ初め
お二人の馴れ初めですが広田亜矢子さんが元々、佐藤浩市さんの大ファンだったようです。
そして芸能界にいれば、いつか佐藤浩市さんと出会えると思い舞台女優となったようです。
この積極的なアプローチが実を結び、佐藤浩市に出会い交際に発展!
念願かなって結婚→劇団退団という流れになりました。
佐藤浩市さんは広田亜矢子さんとの間に息子さんが1人います。
1996年生まれで名前は寛一郎(かんいちろう)さんです。
夫婦の絆と感動的なエピソード
佐藤浩市と広田亜矢子さんの夫婦関係は非常に良好で、感動的なエピソードが多数あります。
映画「愛を積む人」の公開初日の舞台あいさつに佐藤浩市さん、
樋口可南子さん、北川景子さん、朝原雄三監督らが登場し、そしてサプライズが起きます。
妻の亜矢子さんからから夫の佐藤浩市さんに宛てた手紙を樋口可南子さんが読み上げるというサプライズ!
この手紙で亜矢子さんは、自分が先に死ぬという考え方をやめて、
佐藤浩市さんのことを一人にしないように、
一日でも佐藤さんより長生きしようと決めていると述べ、会場を感動に包みました。
社会貢献活動への取り組み
現在、佐藤浩市夫妻は乳児院や児童養護施設のこどもたちを
週末や休み期間に預かる「フレンドホーム」の取り組みを、5年以上にわたって続けています。
今まで、うちに出入りした子供たちは20人くらいでしょうか。
現在はひとり、事情があって住む場所が見つからない大学を卒業したばかりの女の子を
わが家に居候させていますと佐藤浩市自身が語っており、夫婦の温かい人柄がうかがえます。
佐藤浩市の前妻はモデル!?

最初の結婚とその破綻
佐藤浩市は現在の妻・広田亜矢子さんが初婚ではありません。
佐藤浩市さんは、1986年にモデルの女性と結婚しますが、3年後には離婚しています。
離婚原因は佐藤浩市さんの不倫。
不倫相手は女優の手塚理美さんでした。
佐藤浩市さんは結婚して10ヶ月後に手塚理美さんと出会い不倫関係になっているという状況でした。
前妻との子供について
佐藤浩市さんと元妻(嫁)との間には男の子供を1人授かっています。
元妻(嫁)との子供は1985年の9月に誕生しているので現在34歳になっていると推測されます。
当時、佐藤浩市さんにとっては初めての子供だったので誕生したときはめちゃくちゃ喜んでおり
出産にも立ち会っていたそうですが、子供は元嫁に引取られその後、
佐藤浩市さんは息子さんとは会っていないようです。
佐藤浩市の子供は俳優の寛一郎!

寛一郎のプロフィールと名前の由来
寛一郎(かんいちろう、1996年8月16日 – )は、日本の俳優。
東京都出身。ユマニテ所属。父は佐藤浩市、祖父は三國連太郎という三代続く俳優一家の一員です。
芸名の寛一郎は本名。予定日より2か月早く生まれ、1600グラムの未熟児だったことから、
大きくのびのび育って欲しい、
寛大な心を持ってほしいとの意味を込めてつけられたというエピソードがあります。
俳優としての道のり
幼い頃から父・佐藤浩市に連れられ映画の現場を見て育ったため映画好きだったが、
当初は俳優の道に進むことは考えておらず、俳優になることを決意したのは18歳の時であった
寛一郎さんは2017年に俳優デビューしたことで話題にもなりました。
デビュー作の映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」では
祖父の三國と「釣りバカ日誌」シリーズで縁の深い西田敏行と共演したことも話題となりました。
親子共演と将来への期待
俳優の佐藤浩市と寛一郎が5日、東京・テアトル新宿にて開催された
映画『せかいのおきく』の舞台あいさつに参加するなど、親子共演も果たしています。
映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』で第27回日本映画批評家大賞の新人男優賞を受賞するなど
親子三代で俳優として成功への道を歩んでいます。
佐藤浩市の実家は神楽坂!?

神楽坂という土地
東京都新宿区神楽坂出身の佐藤浩市ですが、実家や故郷について複雑な思いを抱いています。
「僕には、もう故郷なんてないですから――」佐藤さんは1960年12月、東京都新宿区出身。
「僕は、東京・神楽坂の生まれですが、実家もないし、当時からある数件の店を除いて。
僕が育ったころの面影なんて、全くと言っていいほど残っていません」と語っています。
実家環境と家族の状況
神楽坂での生活は華やかさの裏に厳しさが伴うものでしたが、
敏子さんはその中でも抜きんでた存在となり、
多くの客に慕われましたという母親の職業的背景がありました。
両親が離婚後、お母さんはスナックを経営して生活費を稼ぎました。
内縁の夫ができ、佐藤浩市さんはそれが嫌で高校生の頃に家を出たという複雑な家庭環境でした。
佐藤浩市のプロフィール!
- 名前:佐藤浩市(さとう こういち
- 生年月日:1960年12月10日
- 年齢:64歳(2025年9月現在)
- 所属事務所:テアトル・ド・ポッシュ
学歴と俳優デビュー
千代田区立富士見小学校、千代田区立九段中学校、高校(昭和第一高等学校とされる)を経て、
1992年に閉校した専門学校である多摩芸術学園映画学科中退。
同校在籍中の1980年(19歳の時)にNHK『続・続事件』でデビュー
翌年出演した映画『青春の門』でブルーリボン賞新人賞受賞し、
俳優としてのキャリアをスタートさせました。
代表作品と受賞歴
佐藤浩市は数多くの映画・ドラマに出演し、
主演を務めた1994年公開の映画『忠臣蔵外伝・四谷怪談』、
2016年公開の映画『64-ロクヨン- 前編』の2作品で「日本アカデミー賞」の最優秀主演男優賞を受賞しています。
近年では「キングダム」シリーズや「どうする家康」などの大作にも出演し、
佐藤浩市さんのギャラは1時間300万ともいわれていますというトップクラスの俳優として活躍しています。
まとめ
佐藤浩市の家族構成を詳しく見てきましたが、父・三國連太郎から始まり、
佐藤浩市、そして息子・寛一郎へと続く三代の俳優一家は、
それぞれが複雑な人間関係を乗り越えながら深い絆で結ばれていることがわかります。
特に現在の妻・広田亜矢子さんとの結婚生活は非常に安定しており、
母親の介護や社会貢献活動を通じて家族の絆を深めています。
今後も俳優として、そして一人の人間として、佐藤浩市とその家族の活躍に注目していきたいと思います。



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