お笑いタレントとして絶大な人気を誇る有吉弘行さん。
テレビでは毒舌キャラとして知られていますが、実は家族想いの一面も持ち合わせています。
本記事では有吉弘行さんの家族構成について、
父親や母親、弟、そして妻である夏目三久さんとの結婚生活まで詳しくご紹介します。
有吉さんのルーツを知ることで、彼の魅力がさらに深まることでしょう。
有吉弘行の家族構成まとめ!

- 父親:有吉博文さん
- 母親
- 本人:有吉弘行さん
- 弟:有吉隆浩さん(4歳年下)
- 妻:夏目三久さん(元日本テレビアナウンサー)
- 第一子
有吉家の基本的な家族構成
有吉弘行さんの家族構成は、父親の博文さん、母親、有吉さん本人、
そして4歳年下の弟・隆浩さんの4人家族でした。
広島県安芸郡熊野町で育った有吉さんは、決して裕福ではない環境の中で家族とともに過ごしました。
父親の博文さんは2010年9月に70歳で亡くなられており、
有吉さんの実家があった広島県安芸郡熊野町には現在、母親も住んでいません。
母親は2016年頃に広島市内のマンションへ引っ越しており、かつての実家は空き家となっています。
現在の有吉弘行の家族
現在は2021年4月に元日本テレビアナウンサーの夏目三久さんと結婚し、
2024年3月には第一子が誕生したことを発表しています。
有吉さん、夏目三久さん、そして子供の3人家族として幸せな生活を送っているようです。
弟の隆浩さんは広島市で生花店を経営しており、有吉さんとは今でも良好な関係を保っています。
母親も80歳で健在で、有吉さんが広島に帰省した際には一緒に食事をするなど、親孝行な一面を見せています。
有吉さんの家族は決して裕福ではありませんでしたが、
その環境が後の有吉さんの人間性や芸風を形作る上で重要な役割を果たしたと言えます。
有吉弘行の父親の職業は工場経営ではなく無職!?

父親・博文さんの人物像
有吉弘行さんの父親は博文さんといい、2010年9月3日に70歳で亡くなられました。
博文さんは2010年2月に脳梗塞で倒れ、意識不明のまま入院。
7か月間の闘病の末、帰らぬ人となりました。
父親の人物像について、有吉さんは野良猫のボスを気取ってみたり、
大量のカブトムシを保有していたりと、謎めいた人物だったと語っています。
幽霊を怖がる有吉さんを墓場に連れて行き、墓石にハチミツの瓶をぶつけてカブトムシを集めるという、
独特な教育方法を取っていたこともありました。
父親の職業と働き方
父親の職業については諸説ありますが、有吉さん自身が否定しているエピソードがあります。
一部では広島県の伝統工芸品である熊野筆の工場を経営していたという情報が流れましたが、
有吉さんはこれを完全に否定。
実際には父親は定職に就いていない時期もあり、
近所の住民によると「あまり仕事が好きな人ではなく、麻雀ばかりやっていた」と語られています。
有吉さんは2013年7月3日に放送された「めちゃ×2ユルんでるッ!」というネット番組で、
実家は工場ではないと明言しています。
母親が筆製造の内職をしていたことはありますが、父親が工場経営者だったわけではありませんでした。
父親にまつわる印象的なエピソード
さらに面白いエピソードとして、有吉さんの出生時に酔っ払った父親が出生届を書いた際、
「ひろゆき」を「ひろいき」と間違って申請してしまったという話があります。
そのため現在でも有吉さんの正式な名前は「ひろいき」さんなのですが、
父親は普通に「ひろゆき」と呼んでいたそうです。
有吉さんと父親の関係を象徴するエピソードとして、
有吉さんが父親を「泥棒」呼ばわりしていた過去があります。
父親が松茸を山から採ってきていたのを見て、有吉さんは泥棒だと思っていたのです。
しかし後になって、その山は実は祖父が所有する「天神嶽」という名の山で、
東京ドーム約4個分の大きさがあることが判明。
有吉さんは父親を泥棒扱いしたことを後悔していると語っています。
父親の死と有吉弘行の後悔
東広島市豊栄町には有吉さんの親戚が暮らしており、父親はそこで松茸を採っていました。
父親は「山を守ってほしい」という遺言を残しており、
有吉さんは2017年のテレビ番組で20年ぶりにこの地を訪れ、害獣駆除のロケに臨んでいます。
多忙を極めていた有吉さんは、父親の死に目に会えませんでした。
葬儀にも参加できず、結局帰省できたのは亡くなってから1週間後だったといいます。
仕事で駆けつけられなかった有吉さんに対し、母親は電話で父の死を伝えた際、
有吉さんが最初は無言だったものの、少し落ち着くと
「お母さん、長い間お父さんのこと看てもらってありがとうございました」
「ぼくは仕事でいますぐには帰れないから、後はよろしくお願いします」と言ってくれたと語っています。
帰省した有吉さんは、仏壇の隣に置いてあった父親のお骨の前に座って、長い時間じっとしていたそうです。
父が認めるほどの売れっ子芸人になってしまったがゆえに、
葬儀にも参列できなかったのは皮肉というほかありません。
有吉弘行の母親はかに好き!?

母親の人物像と出身地
有吉弘行さんの母親は現在80歳で、兵庫県出身です。
城崎の方でおいしいカニを子どものころ食べた経験があり、
カニが大好物であることを2024年3月に有吉さんが番組で明かしました。
有吉さんは49年間、母親がカニ好きだということを知らなかったそうで、ショックを受けたと語っています。
母親は有吉家の屋台骨を支えていた存在でした。
父親があまり仕事熱心ではなく、麻雀ばかりやっていたため、
母親がよく働いて家計を支えていたと地元の人が証言しています。
母親の仕事と生活
母親は熊野筆の穂先を作る内職をしており、近所のスーパーで働く姿も目撃されていました。
また、畑で家庭菜園をしたりと、勤勉な生活を送っていたようです。
有吉さんが売れない時代も、母親は一生懸命働いて家族を支えていました。
有吉さんの実家は築100年以上が経っており、雨漏りがひどい状態でした。
さらにトイレは汲み取り式のボットン便所で、有吉さんは少年時代、
友達を家に呼ぶのが恥ずかしかったと語っています。
他の家はほとんど水洗トイレだったため、コンプレックスを感じていたそうです。
母親の引っ越しと現在の生活
2016年に有吉さんと夏目三久さんの結婚報道が出た際、
母親は社長令嬢の夏目さんを汲み取り式トイレの実家へ呼べないと心配し、
広島市内のマンションへ引っ越しを決意しました。
大阪府の高級住宅街で育った夏目さんには、汲み取りトイレは耐えられないだろうという母親の配慮でした。
また、築100年の家屋の耐震性についても心配があったようです。
以降、熊野町の実家には誰も住んでおらず、現在は空き家となっています。
有吉さんは母親に対して親孝行な一面を見せており、
口では厳しいことを言いながらも毎月仕送りをしているそうです。
広島に帰省した際には、母親の好きな食べ物を聞いて一緒に食事を楽しむなど、
大切にしていることが伺えます。
有吉弘行の弟は広島で花屋を経営している!?

弟・有吉隆浩さんのプロフィール
有吉弘行さんには4歳年下の弟がいます。
弟の名前は有吉隆浩さんで、現在は広島市で生花店を経営しています。
2017年に放送されたテレビ番組「有吉弘行の田舎発見バラエティ!明日あいたい島村さん」に出演し、
兄弟2人の姿を披露しました。
この番組で有吉兄弟が共演する貴重な姿を見ることができました。
弟の隆浩さんが経営する花屋は、当初「空花詩土(ソラシド)」という名前で営業していましたが、
現在は「有吉花店」に店名を変更して営業しています。
過去にはホンダカーズ広島東にも花を卸していたという情報もあります。
幼少期の兄弟関係
兄弟の関係について、
有吉さんは「いくつになっても僕にとって召使いみたいなもんですよ」とジョークを交えて語っています。
幼少期には頭も腕力も兄にはかなわなかったため、王様と奴隷のような主従関係があったそうです。
有吉さんは足をくすぐられるのが好きなため、弟にいつも足をくすぐらせていました。
しかも最後の5分は「ラッシュ」といって、
素早くくすぐらなければならないという独自のルールまであったとか。
幼少期から上下関係がはっきりしていたことを明かしていますが、
これは日本中の兄弟でよく見られる光景かもしれません。
弟の家族と現在の兄弟関係
有吉兄弟にとって大きなニュースとなったのは、弟に子供が生まれて有吉さんに姪っ子ができたことです。
有吉さんは姪っ子の誕生を喜んでおり、家族の絆の深さを感じさせるエピソードとなっています。
現在も兄弟の関係は良好で、有吉さんが広島に帰省した際には弟と会うこともあるようです。
弟の隆浩さんは広島で花屋を営みながら、有吉さんの故郷を支える存在となっています。
有吉弘行の嫁は夏目三久で馴れ初めは怒り新党!

夏目三久のプロフィールと経歴
有吉弘行さんの妻は、元日本テレビアナウンサーで元フリーアナウンサーの夏目三久さんです。
2021年4月1日に入籍し、4月2日に所属事務所を通じて結婚を発表しました。
夏目三久さんは1984年8月6日生まれで、大阪府箕面市出身です。
東京外国語大学外国語学部ベトナム語専攻を卒業後、日本テレビにアナウンサーとして入社。
その後フリーアナウンサーに転身し、多数の番組で活躍しました。
2021年秋に芸能界を引退するまで、幅広い分野で活躍していました。
夏目さんの父親は、ネット上の誹謗中傷や事実無根の書き込みなどを監視する
企業イー・ガーディアンの創業者である夏目三法氏で、いわゆる社長令嬢として育ちました。
大阪府の高級住宅街で育った夏目さんと、
広島の田舎町で育った有吉さんという対照的な生い立ちの2人ですが、結婚生活は非常に順調なようです。
有吉弘行と夏目三久の出会い
2人の出会いは2011年にスタートしたテレビ朝日系
「マツコ&有吉の怒り新党」での共演がきっかけとされています。
マツコ・デラックスさんと有吉さん、
そして進行役の夏目さんという3人の組み合わせが絶妙で、番組は人気を博しました。
2016年8月には一部スポーツ紙が2人の交際と夏目さんの妊娠を報じましたが、これは誤報でした。
同年11月に謝罪記事が掲載され、妊娠という女性にとって重大な事柄について本人に確認せず、
事実に反する報道だったことが明らかになりました。
その後、2017年にも再び交際の噂が浮上しましたが、ツーショットが報じられることはありませんでした。
結婚発表と結婚後の夫婦生活
2021年4月の結婚発表後、同月23日に放送されたテレビ朝日系「マツコ&有吉 かりそめ天国」で
結婚後初の夫婦2ショットでの番組出演を果たしました。
5年ぶりに3人が集結し、夏目さんは「このような場を設けていただき、ありがとうございます」と頭を下げ、
マツコさんは「今から思うと、あれね…。感慨深いわよ」としみじみと口にしていました。
有吉さんは2024年11月に放送されたテレビ番組で結婚生活について語り、
「俺、めっちゃ楽しいけどな、結婚して」
「家にいるのもそうだし、なんか奥さんとどっか行ったりするの、俺、結構楽しい」と発言。
「帰りたくない日みたいのないんですね?」と聞かれると「ないかもなあ、マジで」と回答し、
旅行も一緒に行き、行き先も2人で決めると明かしました。
共演者からは「めちゃくちゃいいじゃないですか」とうらやましがられる場面もありました。
子供を授かった神秘的なエピソード
有吉さんと夏目さんは2023年2月に広島県の宮島を訪れた際、子供を授かるようにお参りをしたそうです。
有吉さんは「俺、スピリチュアルな話が嫌いなんだけど、
ウチ夫婦共々、授かったような気がしたみたいな気持ちになった。そうしたら帰って調べたら妊娠してた」
と神秘的な体験を語っており、宮島での祈願が実を結んだと感じているようです。
家族を守る有吉弘行の姿勢
現在は芸能界を引退し、一般人として生活している夏目さんですが、
2024年6月に写真週刊誌「フライデー」デジタル版でプライベートでの姿が報じられたことがありました。
子供にはモザイクがかけられていましたが、夏目さんの顔はそのまま掲載されていました。
これに対し有吉さんは「どうか家族の盗撮やめてください」とSNSで訴え、家族を守る姿勢を見せています。
有吉弘行の子供は1人で性別は不明!

第一子誕生の発表
有吉弘行さんと夏目三久さんの間には、2024年3月に第一子が誕生しました。
有吉さんは2024年3月3日に、
レギュラーラジオ番組「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」のオープニング内で
第一子の誕生を発表しました。
出生日と性別は公表していません。
有吉さんは子供のプライバシーを守ることを重視しており、顔や性別などの情報は一切公表していません。
しかし、番組での発言から、子育てを楽しみながらも奮闘している様子が伝わってきます。
子育てエピソード
2024年6月には「マツコ&有吉 かりそめ天国」に出演した際、
子供が生まれた時にもらった一眼レフカメラを使いこなせていないことを明かしました。
子育て中の親ならではの悩みを語り、視聴者の共感を呼びました。
2025年1月19日放送のラジオ番組では、子育て中に負傷したエピソードを明かしています。
「情けない」「こっちが泣きたいよね」と語っており、
子育ての大変さと喜びを感じながら日々を過ごしていることが伺えます。
親子3世代の貴重な写真公開
有吉さんは2025年2月25日に自身のインスタグラムで、貴重な親子3世代ショットを公開しました。
「発掘三世代」とつづり、有吉さんの幼少期の写真で祖父と父親が有吉さんに寄り添い、
カメラに優しい表情を向けている写真をアップ。
このショットに「素敵なお写真」「お父さんそっくり」「DNA強っ!」「お宝写真!男前一家や」
「弘行くんが可愛すぎて」などの声が寄せられています。
50歳を過ぎての初めての子育てということもあり、有吉さんにとっては新しい挑戦の連続でしょう。
妻の夏目さんと協力しながら、愛情深く子育てをしている姿が想像できます。
有吉弘行の実家は古民家カフェになった!?

実家の場所と熊野町について
有吉弘行さんの実家は広島県安芸郡熊野町にありました。
熊野町は広島市のすぐ東側にある町で、「熊野筆」という筆が名産品として知られています。
習字用の筆だけでなく、メイク用の筆も作られており、伝統工芸の町として有名です。
実家の具体的な場所は、熊野町の中でも中溝または城之堀地区と推測されています。
有吉さんが卒業した熊野町立熊野第一小学校の通学範囲は中溝全域、
城之堀全域、深原・深原平・登岐平を除く萩原の全域となっています。
有吉さんは実家の周りが田んぼに囲まれており、自宅の裏が山であることを番組で何度も語っていることから、
この地域のどこかに実家があったことは間違いありません。
実家の家屋の状態
実家の家屋について、有吉さんは築100年以上が経っており、雨漏りがひどかったと語っています。
地元住民によると、「実家にはお母さんとお母さんのお姉さんで暮らしていますよ。
家は築100年はたっていて、雨漏りがひどいらしいです」という証言があります。
トイレは汲み取り式のボットン便所で、有吉さんは少年時代、
友達を家に呼ぶのが恥ずかしかったとコンプレックスを明かしています。
2023年11月19日放送のJFN「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」で、
「うちの実家はずっと和式で、いわゆるボットン便所だったので友達を呼ぶのがイヤだった。
他はほとんど水洗だったから」と述べています。
貧しくも幸せだった実家での生活
実家は決して裕福ではなく、有吉さんは「マツコ&有吉怒り新党」の番組内で
自身の貧乏生活について語っています。
「オレは(自分の家が)そんなに裕福じゃないのがいいなって思ってた」と話しており、
貧乏生活を送っている時から楽しかったと振り返っています。
この経験が、猿岩石解散後の不遇時代を乗り越える力になったと言えるでしょう。
有吉さんにとって人生で本当に辛かったのは
「猿岩石の後に落ちぶれて、街歩いていると(みんなから)『惨めね』って思われる」時だったそうです。
実家が貧しかったからこそ、どん底の状況でも耐えることができたのかもしれません。
実家の引っ越しと現在の状態
2016年に有吉さんと夏目三久さんの結婚報道が出た際、
母親は社長令嬢の夏目さんを汲み取り式トイレの実家へ呼べないと心配し、
広島市内のマンションへ引っ越しを決意しました。
耐震性の問題もあったようです。
以降、熊野町の実家には誰も住んでおらず、現在は空き家となっています。
2022年4月24日放送のJFN系ラジオ「SUNDAY NIGHT DREAMER」で、
有吉さんは広島県熊野町に帰省した際のエピソードを語りました。
地元の人から「有吉さんの実家が古民家カフェになるらしいよ」という噂を聞かされ、大困惑したそうです。
しかし実際には、実家はカフェにはなっておらず、単なる噂話だったようです。
実家周辺の環境とお店
実家の近所には有吉さん行きつけのお好み焼き店「ますもと」があります。
猿岩石の森脇和成さんもごく近所に住んでいたため、
2人のサインやファンが書いたノートなどが飾られています。
出川哲朗さんや藤木直人さんなど、
有吉さんの故郷を訪ねる番組で多くの芸能人が訪れたことがある、知る人ぞ知るお店です。
有吉さんの実家周辺は田んぼに囲まれた田舎で、のどかな風景が広がっています。
この環境で育った有吉さんは、都会での芸能活動とのギャップを感じながらも、
故郷への愛着を持ち続けています。
広島県観光大使としても活動し、東京銀座の広島県アンテナショップ「TAU」の名付け親となるなど、
故郷への貢献も続けています。
有吉弘行のプロフィール!
- 名前:有吉 弘行(ありよし ひろいき)
- 生年月日:1974年5月31日
- 年齢:51歳(2025年10月現在)
- 出身:広島県安芸郡熊野町
- 身長:172cm
- 体重:62kg
- 血液型:A型
- 所属事務所:太田プロダクション
弟子入りと猿岩石結成
1993年3月、高校在学中に読売テレビ「EXテレビ」の企画「公開弟子審査会」に合格し、
オール巨人(オール阪神・巨人)へ弟子入りしました。
審査員は上岡龍太郎さん、島田紳助さん、オール巨人さん、西川のりおさんら4名でした。
しかし他の弟子と喧嘩し、謹慎を命じられてしまいます。
オール巨人さんは後に
「実は謹慎を命じた印象が強すぎて、他のことはあまり覚えていないんです」と語っていますが、
有吉さんが弟子入りした時の履歴書を大切に保管しており、
「有吉弘行のダレトク!?」のゲスト出演時に当時の履歴書を公開しました。
後に「ダウンタウンDX」で巨人さんと有吉さんは共演し、
有吉さんは巨人さんに「楽屋の厄介者」というあだ名を命名しています。
1994年、謹慎扱いになった有吉さんは森脇和成さんとお笑いコンビ「猿岩石」を結成し、
ボケ担当としてデビューしました。
猿岩石での大ブレイクと転落
1996年、日本テレビ系「進め!電波少年」のヒッチハイク旅企画で人気者になり、帰国後に大ブレーク。
CDや著書が爆発的に売れました。
猿岩石として発売されたシングル曲は1996年から1999年にかけて10曲にのぼり、
特に「白い雲のように」は大ヒットとなりました。
しかしほどなくして人気は急降下し、全国ネットの画面から消えました。
その後、有吉さんは不遇の時代を経験します。
人生で本当に辛かったのが
「猿岩石の後に落ちぶれて、街歩いていると(みんなから)『惨めね』って思われる」時だったと語っています。
思い悩んで自殺を考えたこともあるそうですが、
実家が貧乏だったことの教訓が活かされて乗り越えることができました。
毒舌芸人としての再ブレイク
2005年の「アメトーーク!」で品川祐さんに対して世間が持っているイメージを
「おしゃべりクソ野郎」と命名したことにより、あだ名および毒舌芸人として人気を得ました。
このあだ名芸が有吉さんの転機となります。
2007年には広島のローカル番組「有吉の楽しい時間」のレギュラーを獲得し、
再ブレークのきっかけをつかみます。
落ち目の有吉さんをあえてレギュラーに起用した広島県メディアが、再ブレークに導いたと言えるでしょう。
2008年には「内村プロデュース」の準レギュラーとなり、全国区での復活を果たしました。
不遇の時代に心の支えとなったのは内村光良さんと上島竜兵さんだったと有吉さんは語っています。
テレビ界での快進撃
その後順調に仕事は増え、2011年にはメディアの調査・分析を行うニホンモニターの調査による
「2011年テレビ番組出演本数ランキング」において出演総本数499本を記録し、1位となりました。
2012年3月には広島県観光大使に就任しています。
2013年11月23日、第10回「IPPONグランプリ」で初優勝、
翌2014年11月8日には第12回「IPPONグランプリ」で二度目の優勝を果たしました。
2013年には一気に5本のレギュラー番組が増え、そのうち4本が冠番組を占めるなど仕事が大幅に広がりました。
全局レギュラー冠番組という偉業
2019年4月、「有吉のお金発見 突撃!カネオくん」がレギュラー放送となり、
主要テレビ局(NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)すべてに
レギュラー冠番組を持つことになりました。
地上波の全局同時レギュラー出演は2008年に国分太一さん、
2014年にさまぁ〜ずが達成していますが、全局同時のレギュラー冠番組を持ったのは有吉さんがテレビ史上初です。
2022年10月からは「有吉クイズ」が火曜日のプライムタイムに昇格し、
すべての曜日のプライム帯に冠番組を持つ芸能史上に類を見ない偉業を達成しました。
結婚と紅白司会
2021年4月1日、夏目三久さんと結婚。
2022年12月31日「第73回NHK紅白歌合戦」に純烈の応援ゲストとしてダチョウ倶楽部と初出演し、
猿岩石の時代に果たせなかった「白い雲のように」を紅白歌合戦で歌唱しました。
2023年10月6日、同年12月31日に生放送される「第74回NHK紅白歌合戦」の司会を務めることが発表されました。
紅白司会という大役を任されることは、有吉さんのテレビ界での地位を確固たるものにしました。
2024年3月3日、レギュラーラジオ番組「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」のオープニング内で
第一子の誕生を発表しました。
まとめ
有吉弘行さんの家族構成について詳しく見てきました。
父親の博文さん、母親、4歳年下の弟・隆浩さんとの4人家族で育った有吉さんは、
決して裕福ではない環境の中で、家族の愛情と支えを受けて成長しました。
広島県安芸郡熊野町の築100年の実家は、雨漏りやボットン便所といった厳しい環境でしたが、
有吉さんはこの経験を前向きに捉え、後の人生の糧としています。
2021年4月には元日本テレビアナウンサーの夏目三久さんと結婚し、2024年3月には第一子が誕生しました。
実家の環境や不遇時代の経験が、有吉さんの強さとユーモアを育んだと言えるでしょう。
これからも妻の夏目三久さんと子供との温かい家族生活を送りながら、
テレビ界で活躍し続ける有吉さんの姿に期待が高まります。



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