【顔画像】バカリズムの家族構成まとめ!父は建設会社勤務で母は資産家の家系で嫁は夢眠ねむ!

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お笑いタレント、脚本家、司会者として多方面で活躍するバカリズムさん。

独特の世界観とクールなキャラクターで人気を集める彼ですが、

その背景には家族との深い絆と、様々な困難を乗り越えてきた歴史があります。

本記事では、バカリズムさんの家族構成から実家の事情、

そして現在の家庭生活まで、徹底的に解説していきます。

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目次

バカリズムの家族構成まとめ!

クランクインより
  • 父親:升野雅さん
  • 母親:升野主基子さん
  • 本人:バカリズム
  • 妻:夢眠ねむさん(元でんぱ組.incのメンバー)
  • 息子

実家の家族は4人構成

バカリズムさんの実家の家族構成は、父親・母親・バカリズム・妹の4人家族でした。

福岡県田川市で育ったバカリズムさんは、祖父の代から続く弁当屋の家庭で生まれ育ちましたが、

中学時代に父親を亡くすという辛い経験をしています。

現在の家族構成

現在は元でんぱ組.incのメンバーである夢眠ねむさんと結婚し、

2023年10月には第1子となる男の子が誕生しています。

母親の献身的な支えによって芸人としての夢を叶えることができたバカリズムさんは、

今度は自身が父親として家族を支える立場となりました。

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バカリズムの父親の仕事は弁当屋経営から建設会社へ!?

ENCOUNTより

升野雅さんの経歴と家業継承

バカリズムさんの父親は升野雅さんといい、

祖父の多一さんが起業した「田川給食センター」を受け継いで経営していました。

母親とはお見合いで結婚し、家業を守りながら家族を支えてきた人物です。

弁当屋では学校や役場などの公的機関に弁当を配達する事業を行っており、

多くの学校がある田川市では一定の需要がありました。

父親から受けた諦めない精神の教育

父親の雅さんからバカリズムさんは「どんなことがあっても諦めないこと」

「絶対に負けるな」という教えを受けて育ちました。

この教育方針は非常に厳格で、

バカリズムさんは喧嘩では本人が負けを認めなければ負けにならないという考えのもと、

体も小さく運動神経も良いわけではありませんでしたが、

喧嘩になってボロボロになっても諦めず戦ったといいます。

高校時代の同級生からは、物事を斜めから見る、まっとうに見ない性格だったと語られており、

この独自の視点が現在の独特の世界観に繋がっているのでしょう。

弁当屋廃業と父親の急逝

1990年代に入ると、コンビニエンスストアの急速な成長や他店の弁当屋の台頭により、

実家の給食センターの経営が傾いていきました。

雅さんは40歳の時に弁当屋を廃業し、市内の建材製造工場に転職しますが、

バカリズムさんが中学生の時に急性肺水腫により45歳の若さで急逝してしまいます。

父親が亡くなった一ヶ月後には祖父も亡くなり、

バカリズムさんと妹、そして母親だけが残されることとなりました。

父親の教えが芸人人生に与えた影響

この出来事はバカリズムさんの人生に大きな影響を与え、

父親から教わった「諦めない精神」は後の芸人としての成功に繋がる重要な要素となっています。

多感な時期にお父さんが亡くなり、

バカリズムさんもお母さんもとても辛く不安な日々を送られたことでしょう。

しかしその経験があったからこそ、どんな困難にも立ち向かい続ける強さを身につけることができたのです。

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バカリズムの母親は資産家の家系!?

Sirabeeより

升野主基子さんの家系と先祖のルーツ

バカリズムさんの母親は升野主基子さんといい、実は資産家の家系の出身でした。

NHKの番組「ファミリーヒストリー」で明らかになったところによると、

母親のルーツを遡ると福岡藩士の原弥平次さんにたどり着きます。

バカリズムさんの高祖父にあたるこの人物は、

嘉永6年(1853年)にペリーが浦賀に来航した年に20歳を迎えた人物で、

剣術に長け福岡藩の藩主の警護を任されていました。

御詮議掛、音陸目付など監視、取締の役割を担っていたといいます。

資産家から一転した母方の家系

主基子さんの母である豊さんは、北九州の資産家である田中畔十郎さんの息子、

田中畔三さんと結婚しました。

畔三さんは多くの貸家を所有し、

膨大な家賃収入を得ていた資産家で、豊さんとの間に多くの子をなしました。

主基子さんは5人目の子供として裕福な家庭に生まれましたが、誕生翌年に財産税法が交付され、

多額の課税とギャンブルにハマったことから畔三さんは借金をこさえ、

最終的に豊さんと畔三さんは離婚に至ります。

資産家の家に生まれながら、貧しい生活を送ることになった主基子さんの経験があるからこそ、

バカリズムさんは母から「ギャンブルはするな」と強く言われて育ったといいます。

母親の才能と教育熱心な姿勢

主基子さん自身も詩や作文を書くことが得意で、その実力は学校で表彰されるほどでした。

また中学時代は猛勉強し、高校では授業料が無償となる奨学生だったという秀才でもあります。

バカリズムさんが作詞家や脚本家としても活躍しているのは、

母親から受け継いだ才能が大きな影響を与えているのかもしれません。

バカリズムさん自身も番組の取材内容を観て

「文章力は母親から、負けず嫌いは父親から受け継いだんだ」と実感したと語っています。

借金をしてまで息子の夢を支えた母の愛

夫である雅さんが亡くなった後、主基子さんは女手一つで子供たちを育てることになりました。

生活を支えるために様々な仕事をこなし、

家庭の収入は大きく減少したことでそれまで住んでいた家を手放すことにもなりました。

しかし主基子さんは、息子の夢を全力で応援し、彼の目指す道を理解して常に支え続けた存在です。

高校時代、進路を決める三者面談でバカリズムさんは「芸人になりたい」と夢を語り、

東京行きを希望しました。

当時の学校の先生はその不安定な職業に反対しましたが、主基子さんは息子の決意を信じ、

なんとかして上京資金を工面しようと、借金をしてまで支えてくれたといいます。

父や祖父を亡くし、落ち込んでいた息子の元気を取り戻してやりたいという母の愛情が、

バカリズムさんの芸人への道を開いたのです。

決して簡単な決断ではなかったはずですが、

息子の可能性を信じた母の決断が今日のバカリズムさんを作り上げたといえるでしょう。

26年間綴り続けた母の日記

主基子さんは26年間日記を綴り続けており、その中にはライブ出演料で1万円のギャラが入ったことや、

家賃をバイト代で払えるようになったこと、テレビ初収録が行われたことなど、

息子の成長する姿が詳細に記録されていました。

この母の愛情と献身が、バカリズムさんの今日の活躍を支えているといえるでしょう。

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バカリズムの兄弟構成は妹が1人!

シネマトゥデイより

妹との容姿の類似性

バカリズムさんには一人の妹がいます。

バカリズムさんは二人兄弟の長男で、妹さんは一般の方のため詳しい情報は公開されていませんが、

兄妹仲は非常に良好なようです。

妹さんの容姿については、バカリズムさん自ら「自分と似てる」と語っており、

他の人から見ても「小さい頃から似ている」といわれています。

妹との温かい交流エピソード

実際にバカリズムさんの映画を観たファンからも、

妹さんとの共演シーンについて「二人ともめちゃくちゃ可愛かった」というコメントが寄せられているほどです。

バカリズムさんのSNSには度々妹さんの話題が上がっており、

妹さんからお土産をもらったり、旅行を見送ったりと、温かな交流が続いている様子が伺えます。

困難を共に乗り越えた兄妹の絆

大人になってからも兄妹の絆は変わらず、家族仲は良好に保たれているようです。

父親を早くに亡くし、母親と共に支え合って生きてきた兄妹だからこそ、

その絆は特別に強いものがあるのかもしれません。

バカリズムさんが多忙な芸能活動の中でも家族との繋がりを大切にしている姿勢が、

妹さんとの関係性からも見て取れます。

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バカリズムの嫁の夢眠ねむとの馴れ初めは単独ライブ!?

togetterより

夢眠ねむのプロフィールと経歴

バカリズムさんは2019年12月24日、元でんぱ組.incのメンバーである夢眠ねむさんと結婚しました。

夢眠さんは三重県伊賀市出身で7月14日生まれ、

アイドル活動を経て現在は実業家やキャラクタープロデューサー、映像監督、美術家として活躍しています。

2019年1月にでんぱ組.incを卒業し、3月には芸能界からも引退しましたが、

現在はマスコットキャラクターである「たぬきゅん」のプロデュースや、

東京・下北沢で「夢眠書店」を経営しています。

2010年の出会いから升野軍団へ

二人が初めて接点を持ったのは2010年、

バカリズムさんの単独ライブ「サスペンス」のエンディングテーマに夢眠さんが参加したときでした。

しかし実際に面識ができたのは、別の番組でたまたまグループと一緒になったときだったといいます。

その後、バカリズムを慕うアーティストらによって「升野軍団」なるLINEグループが設けられ、

夢眠さんも参加することになりました。

この軍団誕生のきっかけは、夢眠さんの誕生会にバカリズムさんが歌手の土岐麻子さん、

ミュージシャンの小出祐介さん、福岡晃子さん、ハマ・オカモトさんらとともに出席したときのことでした。

夢眠ねむからのアプローチと交際への葛藤

ハフポストより

交際のきっかけは夢眠さんからのアプローチでした。

バカリズムさん自身が「結構向こう側がグイグイというか」と語っているように、

夢眠さんからの積極的なアプローチがあったといいます。

共通の知り合いもいたことから連絡先を交換し、食事をする仲になりましたが、

バカリズムさんは当初「そんなつもりはなかった」そうです。

「話が合うなとか良い子だなっていうのはあったんですけど、

アイドリング!!!の番組の司会をやっている人間がアイドルと交際ってなると一番寒いと思ってたから、

何回か断ったんですよ」と、すぐには交際を始めなかったことを告白しています。

結婚までに7年かかった理由

また「そもそも芸能人と付き合うっていうのがちょっと怖かった」という葛藤もありました。

それを直接夢眠さんに告げたところ、夢眠さんからも「何年か後に引退します」と言われ、

実際にアイドリング!!!も終了するということで交際に踏み切れたそうです。

結婚に至るまでの道のりは長く、付き合うまでに4年、交際期間も3年かかり、

結婚までに合計7年を要したといいます。

それだけ慎重に関係を築いてきた二人ですが、

バカリズムさんは「付き合う段階で結婚の話をそもそもしてた」と明かしており、

「結婚を特に考えないで付き合うって時間の無駄じゃないですか」という考えから、

真剣な交際であったことが分かります。

大きな梨のエピソード

印象的なエピソードとして、夢眠さんが精神的に落ち込んでいた時期に、

バカリズムさんがTwitterで「僕今日、すごい大きい梨を食べましたよ。1人で」

というリプライを送ったことがあります。

当時、精神的に落ち込んでいた夢眠さんはTwitterにいら立っている心境を投稿していましたが、

バカリズムさんは心配する言葉をかける代わりに、ただデカい梨を食べたことを報告してくれたのです。

夢眠さんは「なんの弱みにもつけこまずに、元気づけてくれたんだなって思いやりを感じた」と語っており、

このやり取りをきっかけにバカリズムさんのことを「すごくいい人」だと思ったといいます。

それから落ち込んだ時は大きな梨のことを思い浮かべ、バカリズムさんと仲良くなったそうです。

円満な結婚生活を送るための工夫

結婚生活についてバカリズムさんは「思った通りの結婚生活で」と語り、

1人の時間が無くなったことも「全然苦じゃない」と幸せな日々を送っている様子です。

一方で「とにかく喧嘩をしたくない」という思いから、

「自分が理屈っぽい、何でも理屈でねじ伏せようとしてしまう、それで結構失敗してきたから」

という過去の反省を活かし、有利に運べると思ってもぐっと耐えて、

そのままフワっと終わらせようと心がけているといいます。

「そうしないとゆくゆくは離婚される」といつものクールな様子で口にしたバカリズムさんですが、

離婚を回避したいゆえにかなり家庭では気をつけて言動を行っていることが明かされました。

また、結婚する前に色々な人から結婚生活を聞き、

その中でタレントのSHELLYさんからは「家事を手伝うっていう言い方はダメ」と

アドバイスをもらったこともあると明かしています。

バカリズムさんは、これまでの失敗を顧みて注意深く行動し、

リサーチを経ての結婚生活を送っていると語っています。

夢眠さんに怒られたことはあるか聞かれると、

バカリズムさんは「僕は、怒られるようなことはしないから。未然に防ぐ」ときっぱり答えており、

夢眠さんに嫌な思いをさせないよう、日々心を配って結婚生活を送っている様子を見せていました。

夢眠ねむの現在の活動

夢眠さんは現在、自身の名前を冠した実店舗の書店「夢眠書店」を東京・下北沢で運営する傍ら、

マスコットキャラクター「たぬきゅん」のプロデュースなども手がけています。

家系が魚屋でもあり、料理が得意で、バカリズムさんが好きな手料理は「炊き込みご飯」だそうです。

また、2012年から2016年にかけて料理イベント「夢眠軒」を

秋葉原ディアステージにてほぼ月1回のペースで開催しており、

2015年2月27日には同イベントのレシピ等を書籍化した「夢眠軒の料理」を発売しています。

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バカリズムの子供は1人いる!

第1子男児の誕生

バカリズムさんと夢眠ねむさんの間には、2023年10月に第1子となる男の子が誕生しています。

夢眠さんは自身のXアカウントで

「この度、第1子となる男児が誕生いたしました!つきましては、年内いっぱい、産休をいただきます」

と報告しました。

バカリズムさんもマセキ芸能社の公式サイトを通じて

「私事で恐縮ではございますが、この度第1子となる男児が誕生しました。

今後も変わらぬご支援のほど宜しくお願い申し上げます」とコメントしています。

父親となったバカリズムの今後

父親となったバカリズムさんが、自身の父親から教わった

「どんなことがあっても諦めないこと」という教えを息子にどのように伝えていくのか、

今後の家族の姿も注目されます。

バカリズムさん自身が中学時代に父親を亡くした経験があるからこそ、

家族との時間をより大切にしていくことでしょう。

喧嘩をしない結婚生活を心がけているバカリズムさんですから、

子育てにおいても慎重に、そして愛情深く接していくことが予想されます。

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バカリズムの実家は弁当屋でお金持ち!?

読売新聞オンラインより

福岡県田川市の地域特性

バカリズムさんの地元は福岡県田川市です。

田川市は福岡県の中央部にあり、人口5万人ほどの町ですが、

福岡県立大学などの学校や商業施設が多くある地域として知られています。

バカリズムさんはこの田川市で生まれ育ち、小学校から高校まで地元の学校に通いました。

地元の福岡県田川市というところはヤンキーが多い町だったようで、

バカリズムさんもそれに影響を受け、

小学校高学年からはヤンキーの道に進んでいたというエピソードもありました。

田川給食センターの歴史と廃業

実家の升野家は祖父の多一さんの代から「田川給食センター」という弁当屋を営んでいました。

この弁当屋は地元の学校や役場、官公庁などの公的機関に弁当を配達する事業を行っており、

多くの学校がある田川市では安定した経営を行っていたようです。

バカリズムさんの父親と母親は、きっと多くの弁当を作るために朝早く起きて、

多くの学校や役所などに販売するお弁当を作っていたのでしょう。

しかし1990年代に入ると、

コンビニエンスストアの急速な成長や他の弁当屋の台頭により経営が傾いていきました。

父親の雅さんは40歳の時に田川給食センターを廃業し、その後は市内の建材製造工場に転職しています。

この頃から急速に成長したコンビニや他店の弁当屋の台頭により

実家の給食センターが経営が傾いていったそうです。

家を手放した経済的困難

父親が亡くなった後、家庭の収入は大きく減少し、それまで住んでいた家を手放すことになりました。

その厳しい状況の中で、母親の主基子さんは生活を支えるために様々な仕事を始め、

女手一つで子供たちを育て上げたのです。

バカリズムさんにとって福岡県田川市は、辛い思い出も含めて自身のルーツであり、

この地で経験したことが現在の独特な世界観や人間観察力を育んだ土壌となっています。

地元環境が育んだ観察力

地元の荒々しい環境の中で、小学校時代から派閥闘争や権力闘争が目立つような環境だったといい、

そこで他人の心理を読むことを学んだとバカリズムさん自身が語っています。

小学校の派閥闘争のなかで他人の心理を読むことを学んだ様子で、

この経験が後の芸人としての観察眼を磨くことに繋がったのでしょう。

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バカリズムのプロフィール!

日刊スポーツより
  • 名前:バカリズム
  • 本名:升野英知(ますの ひでとも)
  • 生年月日:1975年11月28日
  • 年齢:49歳(2025年10月現在)
  • 出身:福岡県田川市
  • 身長:165cm
  • 血液型:A型
  • 所属事務所:マセキ芸能社

学歴と芸人を目指したきっかけ

学歴は福岡県の田川市立田川小学校、田川市立中央中学校を経て、私立飯塚高等学校を卒業しています。

小学校時代は地元の野球チームに所属していました。

中学校時代は野球部に所属していて、3年間丸刈りで過ごしました。

当時は補欠でしたが、練習はハードで夜暗くなるまで練習をしていた様です。

クラスのみんなを笑わせることが好きで、クラスのムードメーカーとして人気者だったバカリズムさんですが、

当時のバカリズムさんは奥手で女の子と話をすることが苦手な性格だったそうです。

高校時代は野球部に所属していましたが、2年生の夏に骨折してしまい、

選手をサポートする裏方に回されてしまいました。

試合に出られなくなるかもしれないという危機感を持ったバカリズムさんは、

筋トレを懸命に行ってことでチームで一番パワーがつき、代打で使われるようになりました。

バカリズムさんは自分がヤンキーだったことは否定していますが、

切れやすいところもあり、喧嘩をすることはたびたびあったようです。

レンガで頭を割られたこともあったのだとか。

バカリズムさんをレンガで殴った相手は、

同郷のバイキングの小峠英二さんの知人だったことが上京してから判明したそうです。

日本映画学校時代とコンビ結成

高校卒業後は大学には進学せず、日本映画学校(現・日本映画大学)俳優科に進学しました。

この学校はウッチャンナンチャンや出川哲朗さんを輩出していることでも知られており、

バカリズムさんはウッチャンナンチャンに憧れて入学を決めたといいます。

漫才の授業がカリキュラムに組み込まれており、

当時バカリズムさんは学費や生活費は全てアルバイトをして自分で工面していたんだそうです。

1995年、同じ飯塚高等学校に通っていた松下敏宏さんとお笑いコンビ「バカリズム」を結成しました。

結成当初は「キクラゲ」という芸名で活動していましたが、後に「バカリズム」に改名しています。

コンビ名の由来について、

バカリズムさんは「検索した時にややこしくならないようにあえてこの世にない名前にした」と説明しています。

当時、バカリズムさんは松下敏弘さんとコンビで活動していました。

ピン芸人としてのブレイク

コンビは人気番組に出演するものの売れず、2005年に解散しました。

しかし升野さんは「今まで積み重ねてきたものを0にするのはもったいない」という理由で、

元コンビ名であるバカリズム名義での活動を継続することを決めます。

コンビを解消してバカリズムさんが名前を受け継いだのです。

解散後すぐにR-1ぐらんぷりに初出場し、ピンでの活動開始からわずか2ヶ月で決勝進出を果たします。

初出場の2006年の大会ではフリップネタ「トツギーノ」を披露し、結果は4位でした。

これがきっかけとなり仕事は急増し、

爆笑レッドカーペットなどのネタ番組で「トツギーノ」を披露することが多くなり、

このネタでCMにも出演し、またグッズも発売されました。

一発屋を回避した戦略

しかしバカリズムさんは「このままではバカリズムではなく、トツギーノの人になってしまう」

と一発屋になってしまう可能性を危惧し、

その後1年ほどしてトツギーノを一切披露することをやめました。

この戦略について後に「この戦略はバッチリ上手くいった」と述べています。

脚本家としての成功と多方面での活躍

現在ではお笑いタレントとしてだけでなく、

ナレーター、司会者、脚本家、俳優、作詞家として多方面で活躍しています。

2014年放送の「素敵な選TAXI」を手がけたのを機に脚本執筆を本格化させ、

2018年には前年に自らの原作をドラマ化して主演も務めた「架空OL日記」が

向田邦子賞を受賞するなど高い評価を受けました。

この頃から映像作品の脚本などの創作の仕事へも取り組むこととなっています。

R-1ぐらんぷりでは2006年、2007年、2009年、2010年とファイナリストに選ばれており、

独特の世界観を持つネタで人気を集めています。

また定期的に開催している単独ライブ「バカリズムライブ」や、

番外編として「2〜3週間の間に考えてきた案をひたすら発表する」だけの

「バカリズム案」を合わせて年に2〜3回開催していましたが、

2014年からは「バカリズムライブ」を年に1回開催するのみとなっています。

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まとめ

バカリズムさんの家族構成と生い立ちを見てきましたが、

そこには多くの困難と、それを支えた家族の深い愛情がありました。

中学時代に父親を亡くすという辛い経験をしながらも、

母親の献身的な支えと、父親から教わった「諦めない精神」によって、

芸人としての夢を叶えることができました。

実家の弁当屋「田川給食センター」の廃業、父親と祖父の相次ぐ死去、

家を手放さなければならなかった経済的困難など、

バカリズムさんの少年時代は決して平坦なものではありませんでした。

バカリズムさんの活躍の裏には、常に家族の存在がありました。

これからも家族を大切にしながら、多方面での活躍を続けていくことでしょう。

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