演歌界のプリンスとして一躍脚光を浴び、
現在ではジャンルにとらわれない表現で多くのファンを魅了する氷川きよし。
2000年のデビューから20年以上にわたり第一線で活躍を続ける彼の背景には、
どのような家族の支えがあったのでしょうか。
本記事では、氷川きよしの家族構成、実家環境、両親とのエピソード、
そして幼少期から現在に至るまでの興味深い逸話をまとめました。
演歌の枠を超え、自由な表現を続ける氷川きよしを支えた家族の姿に迫ります。
氷川きよしの家族構成まとめ!
- 父親
- 母親
- 本人:氷川きよしさん
氷川きよしの家族構成はシンプルに三人家族です。
福岡県福岡市南区で育った彼は、父親、母親、そして氷川きよし本人という一人っ子家庭で育ちました。
2018年に放送された「サワコの朝」でも本人が一人っ子であることを明かしています。
氷川きよしの父親はタクシー運転手!?
氷川きよしの父親は地元のタクシー運転手として働いていたとされています。
いわゆる九州男児のような「男は男らしく」という考え方を持っていた一方で、意外にもゲーム好きな一面も。
特に「ボンバーマン」は全面クリアするほどの腕前だったそうです。
年齢については正確な情報はありませんが、2022年のInstagramで氷川きよしが父親は70代と公表しています。
父親とのエピソード
父親は氷川きよしの女性的な表現に対して当初は「好かん!」と反対していましたが、
現在では「働きすぎだから休め」と氷川きよしを気遣う言葉をかけるなど、息子を思いやる優しい父親です。
また、父親はゲーム好きで、特に「ボンバーマン」が得意だったというエピソードや、
成人した氷川きよしにお年玉をねだるなど、茶目っ気のある一面も持ち合わせていることがわかります。
氷川きよしの母親について

氷川きよしの母親は、彼の個性や美意識を幼少期から肯定し、支えてきた存在です。
父親との出会いは映画のようなロマンスがあり、
別の裕福な男性とのお見合い直後に乗ったタクシーが氷川きよしの父親の運転するタクシーで、
そこで恋に落ちたというエピソードがあります。
氷川きよしを妊娠中に病気になり、医師からは出産を反対されたものの、それでも産むことを選択。
このような経緯もあり、氷川きよしは特に母親からの深い愛情を受けて育ちました。
母親は息子の個性を尊重し、
氷川きよしがジェンダーレスな表現を始めた際も「やるなら徹底的にやりなさい」と応援。
彼のネイルやファッションに対しても肯定的なコメントをするなど、常に氷川きよしの強い味方であり続けています。
母親への思いの歌「母」
氷川きよしは2020年に「母」という楽曲をリリースしました。
母親をテーマにした曲を作りたいという願いは、デビュー時から彼の中にあったそうです。
デビュー曲「箱根八里の半次郎」にも母親への思いが込められており、
「親不孝をしたぶん、いつか倍の孝行をしたい」という決意が22歳の氷川きよしの心にあったと語っています。
デビュー5年目に病気で倒れた際、「母親が当たり前に生きているわけではない」と感じたことも、
この曲を作りたいという思いを強くしたそうです。
曲を聴いた母親の反応は「よか歌やね」という一言だけだったとのこと。
氷川きよしによれば、母親は表情があまり豊かではなく、派手でも出たがりでもない人だそうです。
氷川きよしの兄弟はおらず一人っ子!

氷川きよしに兄弟姉妹はおらず、一人っ子として育ちました。
中性的な特徴を持つ男性は姉妹の影響を受けていることが多いため、一人っ子だというのは意外かもしれません。
幼少期は同級生と馴染めないことがあり、親戚の女の子(従姉妹)と遊ぶことが多かったそうです。
氷川きよしの実家と幼少期とは?

実家の環境は?
氷川きよしの実家は福岡県福岡市南区にあります。
本人の語りによると、幼少期は市営住宅の2Kの部屋で暮らしていたとのこと。
決して裕福ではない一般的な家庭環境でしたが、両親の愛情に恵まれて育ちました。
福岡市南区は緑豊かな自然環境で、市のベッドタウンとして知られています。
整備された公園や農業用のため池が点在する落ち着いた環境で、氷川きよしは幼少期を過ごしました。
幼少期のエピソードは?
氷川きよしは幼い頃からとても内気な性格で、人見知りする子どもでした。
母親の後ろに隠れるような子どもだったといいます。
また、中性的な傾向は幼少期からあり、3歳の時に父方の叔父に長い髪をバリカンで刈られた際には、
母親が「きよしには髪の毛を切らなくてもいいんです!」と涙ながらに抗議したというエピソードがあります。
小学校時代は、同級生の女子と遊ぶことが多く、男子の遊びが苦手でからかわれることもあったそうです。
一方で、負けず嫌いな一面もあり、
保育園の運動会で2位になった悔しさは大人になっても忘れられないほどだったとのこと。
中学時代には太っていた時期があり、クラスメイトから「デブ清」と呼ばれたこともあったそうです。
それが嫌で寒天ダイエットに挑戦し、見事成功。
この成功体験が美意識の高さにつながったとも考えられます。
音楽との出会い
氷川きよしが歌手を志すきっかけとなったのは、中学生の頃に祖母に連れられて行った松田聖子のコンサートでした。
素敵な衣装で美しく歌い上げる姿に感銘を受け、
親戚旅行で「赤いスイートピー」を歌って絶賛されたことから、歌うことの楽しさに目覚めたのです。
高校時代には福岡第一商業高校のインテリアデザイン学科に進学し、そこで開講されていた珍しい芸能コースを選択。
担当の先生の影響で演歌を歌い始め、老人ホームでの慰問で高齢者が喜ぶ姿を見て感動し、
演歌歌手になることを決意しました。
氷川きよしのプロフィール
- 芸名:氷川きよし
- 本名:山田清志
- 生年月日:1977年9月6日
- 出身地:福岡県福岡市南区
- 血液型:A型
- 身長:178cm
- 体重:62kg
- デビュー日:2000年2月2日(「箱根八里の半次郎」)
- 学歴:大楠小学校→高宮中学校→福岡第一商業高校卒業
まとめ
氷川きよしは福岡市南区の一般家庭で一人っ子として育ち、特に母親の深い愛情に支えられてきました。
幼少期から中性的な傾向があり、それを肯定してくれた母親の存在が、
現在の自由な表現につながっていると言えるでしょう。
父親はタクシー運転手として家族を支え、「男らしさ」を重んじながらも茶目っ気のある人柄で、
氷川きよしを見守ってきました。
両親の愛情に包まれた家庭環境が、氷川きよしの人間性や音楽性の基盤となっているようです。
デビュー以来20年以上にわたり第一線で活躍を続け、演歌の枠を超えて自由な表現を追求する氷川きよし。
その背景には、常に彼の個性を尊重し、応援してきた家族の存在があります。
これからも自分らしく輝き続ける氷川きよしの活躍に、注目していきたいですね。



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