日本を代表する俳優として長年活躍し続けている唐沢寿明さん。
本記事では、唐沢寿明さんの家族構成について、生い立ちから現在まで、詳しくご紹介していきます。
幼少期の複雑な家庭環境、兄弟との関係、そして妻である山口智子さんとの愛情深い夫婦生活まで、
唐沢寿明さんを形作ってきた家族のエピソードを網羅的にまとめました。
唐沢寿明の家族構成まとめ!

- 父親
- 母親
- 兄
- 本人:唐沢寿明さん
- 弟
- 妻:山口智子さん
唐沢寿明さんは1963年6月3日に東京都台東区で3人兄弟の次男として誕生しました。
家族構成は父親、母親、兄、唐沢寿明さん、弟の5人家族です。
三ノ輪という下町で育ち、兄弟とともに幼少期を過ごしました。
現在の唐沢寿明さんの家族構成については、1995年に女優の山口智子さんと結婚し、
芸能界きっての理想的な夫婦として知られています。
2025年現在で結婚30年目を迎え、お互いを深く尊重し合う関係を築いています。
唐沢寿明さんと山口智子さんの間には子供はいません。
これは不妊や健康上の理由ではなく、二人が話し合った上で選択した人生の形であり、
お互いの生い立ちや価値観を尊重した結果といえます。
唐沢寿明の父親はしつけにめちゃくちゃ厳しかった!?

厳格で気が短い性格
唐沢寿明さんの父親は躾に非常に厳しく、気が短い性格だったといわれています。
箸の持ち方から食事の姿勢まで、子供たちに細かく指導する人物でした。
怒ると机をひっくり返したり物を投げたりするほど感情的になることもあったそうです。
家庭内での暴力と不和
父親のこうした横暴な振る舞いが原因で、家庭内では日常的に夫婦喧嘩が絶えない状況でした。
父親が母親に暴力をふるうこともあり、家庭は常に不安定な空気に包まれていました。
母親をかばった切ないエピソード
ある日、唐沢さんは母親をかばって父親を家から追い出そうとしたことがありました。
しかし逆に母親から「あんたが出ていきなさい」と言われ、
涙を流したという切ないエピソードも伝えられています。
こうした複雑な家庭環境が、唐沢寿明さんの人生観や価値観に大きな影響を与えたことは間違いありません。
16歳での家出と現在
16歳の時に不仲だった両親と喧嘩の末、家を出て伯母の家に居候することになりました。
現在、父親はすでに他界しており、
唐沢寿明さん自身も終活の一環として実家の整理を進めているとのことです。
唐沢寿明は母親に家を建ててあげていた!?

夫婦不和に苦しんだ日々
唐沢寿明さんの母親に関する情報は父親に比べて多くは語られていませんが、
家庭内で夫との不和に苦しんでいた様子が伺えます。
両親の仲は悪く、子供たちの前でいつも夫婦喧嘩をしており、
3人の子供たちが喧嘩の仲裁をしていたといいます。
母親のために建てた家
唐沢寿明さんは2006年に母親のために一戸建ての家を建ててあげました。
しかし母親がその家に住めたのは2年もなく、2008年に肝臓がんで亡くなってしまいました。
母親への深い愛情と孝行の気持ちが表れたエピソードといえるでしょう。
実家の保持と売却
唐沢さんはすぐに実家を処分するのはしのびなかったようで、
10年以上も人に貸したりしていましたが、2020年3月についに売却しました。
これは妻の山口智子さんと一緒に進めている終活の一環と考えられています。
親孝行な唐沢寿明の一面
母親との具体的なエピソードは多くは公開されていませんが、
唐沢寿明さんが母親のために家を建てた事実から、親孝行な一面と家族への愛情の深さが感じられます。
唐沢寿明は男3兄弟の真ん中!

3人兄弟の次男として
唐沢寿明さんは3人兄弟の次男として育ちました。つまり兄が1人と弟が1人いることになります。
5人家族で三ノ輪という下町で育ち、
兄と弟とともに両親の夫婦喧嘩の仲裁役を務めることが多かったようです。
不安定な家庭環境での支え合い
3人の子供たちは不安定な家庭環境の中で互いに支え合いながら成長してきたと考えられます。
複雑な家庭環境で育った経験が、兄弟間の絆を深めると同時に、
唐沢寿明さんが俳優として人間の複雑な感情を表現する力の源になっているともいえるでしょう。
兄弟の詳細情報は非公開
兄や弟の具体的な名前や職業、現在の関係性などについては、
唐沢寿明さん自身がプライバシーを重視しているためか、詳しい情報は公開されていません。
芸能関係の仕事に就いているという情報も確認できませんでした。
やんちゃで目立つ少年時代
唐沢寿明さんは幼少期からやんちゃで周囲を笑わせるのが大好きな少年だったといいます。
学校ではいたずらばかりしており、通知表には「落語家になりなさい」と書かれたこともあったそうです。
兄弟の中でも特に目立つ存在だったのかもしれません。
唐沢寿明の妻の山口智子の馴れ初めは朝ドラ!?

山口智子のプロフィール
唐沢寿明さんの妻は女優の山口智子さんです。
山口智子さんは1964年10月20日生まれで、栃木県栃木市出身。
栃木県立栃木女子高等学校を経て、青山学院女子短期大学家政学科を卒業しています。
短大在学中にスカウトされ、ファッション雑誌「ViVi」のモデルとして活動を開始しました。
運命的な出会い「純ちゃんの応援歌」
二人の出会いは1988年放送のNHK連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」での共演がきっかけでした。
このドラマで山口智子さんはヒロインを務め、唐沢寿明さんは義弟役を演じていました。
ドラマでは唐沢さんが弟役だったため「姉ちゃん、姉ちゃん」と呼んでおり、
家族という感覚から関係が始まったことがよかったのではないかと山口さんは振り返っています。
交際のきっかけと強盗事件
撮影期間中に悩みを相談し合ううちに仲良くなり、
クリスマスに山口智子さんからプレゼントを受け取ったことなどで付き合うことになりました。
1992年1月には山口智子さんの自宅マンションで強盗事件が発生し、
唐沢寿明さんが犯人を撃退したことで二人の関係が公になりました。
この事件での唐沢さんの勇敢な行動が、二人の絆をより深めたといえるでしょう。
1995年12月の結婚
そして1995年12月15日に二人は結婚しました。
結婚会見で唐沢寿明さんは山口智子さんのことを「女優をしているけれど、普通の女性」と語り、
「料理が上手で家事をしっかり行っている」とコメント。
山口智子さんは「世界で1番幸せです。仕事への姿勢を尊敬しています」と笑顔を見せました。
結婚30年目のおしどり夫婦
2025年現在、結婚30年目を迎えた二人は、芸能界きってのおしどり夫婦として知られています。
山口智子さんは複数のメディアで夫への愛情を惜しみなく表現しています。
夫婦円満の秘訣は礼儀と緊張感
山口さんは「家族でも最低限の礼儀とか緊張感って大事」と語り、
「唐沢は私の100億倍ちゃんとしてる。私は結構忘れるけど、向こうはぴっちり綿密な計画のもとに生きてる」
と夫の几帳面さを証言しています。
見返りを求めない愛の哲学
さらに山口さんは、唐沢さんがよく言う言葉として
「本当の愛は見返りを求めない」
「人に期待しない。自分がやりたいからやってるんだと。自分が愛したいから愛してるんだと」
という哲学を紹介しています。
一緒にいる時間が最高の幸せ
山口智子さんは「自分が世界で1番幸せだと思う瞬間は、唐沢寿明さんとご飯を食べている時」
と語ったこともあります。
また「唐沢さんと遊んでいる時が私にとってのオフ」とも発言しており、
夫と過ごす時間を何より大切にしている様子が伺えます。
家事分担と思いやり
家事については、お互いが気づいた方が手をつける分担制を採用しているそうです。
唐沢寿明さんは料理は得意ではないものの、
山口智子さんが作った料理の後片付けは全て担当するなど、お互いを思いやる関係を築いています。
尊重し合う夫婦の形
結婚生活が長くなっても、二人の愛情は衰えることなく、むしろ深まっているといえるでしょう。
お互いの個性や価値観を尊重し合い、無理強いせず、
相手の自由を認め合う姿勢が、二人の関係を良好に保つ秘訣のようです。
唐沢寿明と山口智子に子供がいない複雑な理由とは!?

子供はいない選択をした夫婦
唐沢寿明さんと山口智子さんの間には子供はいません。
これは不妊や健康上の理由ではなく、二人が話し合った上で選択した人生の形です。
1995年に結婚してから約30年が経過していますが、
誰もが憧れる理想的な夫婦でありながら子供がいないため、
過去には「不妊症なのでは」という憶測の声も上がったことがありました。
山口智子が語った子供を持たない理由
山口智子さんは2016年2月16日発売の雑誌「FRau」のインタビューで、
ずっと『親』というものになりたくないと思って育ちました。
私は『子どものいる人生』とは違う人生を歩みたい。
血のつながりを全く信用しておらず、その代わりに最高のパートナーを求めたい。
人それぞれの人生があっていいはず
と語っています。
山口智子の複雑な生い立ち
山口智子さんは幼少期に両親が離婚し、母親と絶縁したりと複雑な家庭環境で育ちました。
小学校入学後、父親の女性問題が発覚したことで母親と共に母の実家へ移ることになりましたが、
山口さんは祖母への想いが募り家を飛び出して祖母に会いに行きました。
話し合いの末、親権は父親に渡され、その日を境に母親と絶縁状態になったのです。
血縁より最高のパートナーを求めて
このような経験から、
山口さんは「親になりたくない」「血の結びつきを全く信用していない」という考えを持つようになりました。
一方、唐沢寿明さんも前述の通り、両親の不仲や暴力的な家庭環境の中で育ちました。
こうした生い立ちが、子供を持つことへの慎重な姿勢につながったと考えられます。
世間から共感の声
唐沢寿明さんと山口智子さんが子供を持たない選択をしたことについて、
「共感できる」という声が多く上がっています。
多様な生き方や価値観が認められる現代において、
子供を持たない選択も一つの生き方として尊重されるべきだという考え方が広まっています。
お互いを尊重する夫婦の決断
唐沢寿明さんは夫婦だからといって無理強いはしない性格だといい、
山口智子さんのこの考えについても深く理解しているようです。
二人は子供がいなくても、お互いが最高のパートナーとして人生を歩んでいます。
充実した二人の人生
結婚して30年近く経った今も、二人は互いを深く愛し、尊重し合う関係を続けています。
子供がいないからこそ、夫婦二人で過ごす時間を大切にし、
それぞれのキャリアを支え合いながら充実した人生を送っているといえるでしょう。
唐沢寿明の実家は台東区三ノ輪!?

東京都台東区三ノ輪で育つ
唐沢寿明さんは東京都台東区で生まれ育ちました。
具体的には三ノ輪という下町で育ったといわれています。
東京都内の下町にある商店街のほど近くに、唐沢寿明の実家がありました。
母親のために建てた実家
唐沢さんが2006年に母親のために建ててあげた一戸建てです。
母親は2008年に肝臓がんで亡くなり、その後唐沢さんはすぐに処分するのはしのびなかったようで、
10年以上も人に貸したりしていました。
2020年に実家を売却
しかし2020年3月についに実家を売却しました。
父親もすでに亡くなっていることから、唐沢さん自身の終活の一環ではないかといわれています。
妻の山口智子さんも養母である祖母の家を2019年に売却しています。
夫婦で進める終活
結婚25年目を迎え、お互いに50代も半ばになった時点で、夫婦で終活会議を行うこともあったそうです。
話し合いは実家の整理ばかりでなく、お墓の問題や遺言書の作成にまで及んでいるようです。
実家の売却は、両親への感謝の気持ちを持ちながらも、
過去と向き合い、これからの人生を見据えた決断だったといえるでしょう。
唐沢寿明のプロフィール!

- 名前: 唐沢寿明(からさわ としあき)
- 本名: 唐沢潔(からさわ きよし)
- 生年月日: 1963年6月3日
- 年齢: 62歳(2025年10月現在)
- 出身地: 東京都台東区
- 身長: 175cm
- 血液型: A型
学歴と学生時代
唐沢寿明さんは台東区立東泉小学校を卒業し、台東区立下谷中学校に進学しました。
中学卒業後は東京都立蔵前工業高等学校に進学しましたが、高校2年生の時に中退しています。
小学生の時に野球や少林寺拳法をしており、またこの頃から俳優に憧れていました。
中学時代にはブルース・リーに憧れてアクション俳優を目指すようになりました。
高校1年生の時にアクション俳優養成所「東映アクションクラブ」に所属し、
当時最年少の16歳で四期生として入所しました。
俳優へのキャリアのスタート
東映では刑事ドラマのエキストラや仮面ライダーシリーズの敵役スーツアクターとして活動しました。
しかし2年後、「ここでは役者になれない」と仲間に言ったのが原因でクラブを解雇されてしまいます。
その後は舞台やショーパブ、様々なアルバイトを経験しました。
ホリプロにスカウトされて歌手デビューを勧められたこともありましたが、
俳優志望であることを理由に決裂したといいます。
ブレイクのきっかけ
舞台「ボーイズレビュー・ステイゴールド」のオーディションに合格したのをきっかけに、三生社に所属。
その後、徐々に俳優としてのキャリアを築いていきました。
1988年、NHK朝の連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」に
主役の山口智子さんの弟役で出演したことが大きな転機となり、
以降トレンディードラマを中心に活躍の場を広げていきました。
テレビドラマの代表作
唐沢寿明さんは数々のヒットドラマに出演してきました。主な代表作には以下のようなものがあります。
- 「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」(2002年、NHK大河ドラマ)
- 「白い巨塔」(2003年、フジテレビ)
- 「GOOD LUCK!!」(2003年、TBS)
- 「ブラックボード〜時代と戦った教師たち〜」(2004年、TBS)
- 「不毛地帯」(2009年、フジテレビ)
- 「JIN-仁-」(2009年、2011年、TBS)
- 「ルーズヴェルト・ゲーム」(2014年、TBS)
- 「ナポレオンの村」(2015年、TBS)
- 「ボイス 110緊急指令室」(2019年、日本テレビ)
- 「24 JAPAN」(2020年、テレビ朝日)
- 「エール」(2020年、NHK連続テレビ小説)
- 「プライベートバンカー」(2025年、TBS)
映画の代表作
映画でも多くの作品に主演してきました。
- 「おいしい結婚」(1991年)
- 「ラヂオの時間」(1997年)
- 「みんなのいえ」(2001年)
- 「20世紀少年」三部作(2008年〜2009年)
- 「イン・ザ・ヒーロー」(2014年)
- 「杉原千畝 スギハラチウネ」(2015年)
- 「THE LAST COP/ラストコップ THE MOVIE」(2017年)
トイ・ストーリーのウッディ役
また、ピクサーのCGアニメ「トイ・ストーリー」シリーズでは、
主人公ウッディの日本語吹き替えを担当し、多くのファンから愛されています。
これらの作品で唐沢さんは確かな演技力を発揮し、日本を代表する実力派俳優としての地位を確立しました。
ひょうきんで温かい人物像
唐沢寿明さんは幼少期からやんちゃで周囲を笑わせるのが大好きな少年でした。
学校ではいたずらばかりしており、授業で手を挙げる時に一人だけ横に伸ばして笑いをとったり、
超音波のような音を出して授業の邪魔をしたりしていました。
通知表に書かれた言葉は「落語家になりなさい」だったといいます。
バラエティ番組などで見せるひょうきんな素顔は、
こうした幼少期からの性格が表れているのかもしれません。
一方で、複雑な家庭環境で育った経験から、人間の複雑な感情を深く理解し、
それを演技に生かす力を持っています。
車好きとしても知られる
また、車好きとしても知られており、クラシックカーのラリーイベントを主催するなど、
趣味にも情熱を注いでいます。
妻の山口智子さんも一緒にイベントに参加するなど、夫婦で共通の趣味を楽しんでいる様子が伺えます。
まとめ
唐沢寿明さんの家族構成について、生い立ちから現在まで詳しく見てきました。
幼少期は両親の不仲という複雑な家庭環境で育ち、
3人兄弟の次男として兄や弟とともに苦労を共にしてきました。
16歳で家を出て伯母の家に居候しながら、俳優への道を歩み始めた唐沢さん。
母親のために家を建ててあげるなど、家族への深い愛情も持ち合わせています。
これからも唐沢寿明さんと山口智子さんには、お互いを大切にしながら、
それぞれの道で活躍し続けてほしいと多くのファンが願っています。
二人の今後の活動にも注目が集まることでしょう。



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