ドラマ『おっさんずラブ』で大ブレイクし、
以降も『あなたの番です』や『キワドい2人』など数々の話題作に出演している俳優・田中圭さん。
明るく親しみやすい人柄と演技力で多くのファンを魅了している彼ですが、
実は壮絶な家族の歴史を持っています。
今回は、田中圭さんの実家の家族構成から現在の家族まで、詳しくご紹介します。
田中圭の家族構成まとめ!

実家の家族構成
- 父親:会社の社長(両親は田中圭が8歳の時に離婚)
- 母親:2018年1月15日に65歳でがんにより他界
- 本人:1984年7月10日生まれ
- 妹:田中圭が5歳の時に病気で他界
現在の家族構成
- 本人:田中圭
- 妻:さくら(元女優、2011年8月31日に結婚)
- 長女:2012年2月6日生まれ(2025年現在13歳)
- 次女:2016年8月3日生まれ(2025年現在8歳)
田中圭の父親は社長だった!?

田中圭さんの父親については、公開されている情報が比較的少ないですが、
いくつかの重要な情報が明らかになっています。
父親の職業と家庭環境
田中圭さんの父親は「社長」を務めていたことが明らかになっています。
田中圭さん自身がテレビ番組内で、「うちの親父は社長でした」と語っていたことがあります。
具体的にどのような会社の社長だったかは明らかになっていませんが、
個人事業主か企業の経営者だったと考えられます。
そのため、田中圭さんの幼少期は経済的に恵まれた環境で育ったと推測されています。
実際に田中圭さんは小さい頃から複数の習い事を掛け持ちしていました。
- バスケットボール(6歳から)
- バイオリン
- ピアノ
- 書道
- 絵画
- 公文などの塾
- サッカー
特にバイオリンは楽器自体も高価であり、これだけ多くの習い事ができたことからも、
父親の経営する会社が順調だったことが推測されます。
両親の離婚と田中圭の記憶
田中圭さんが8歳のときに両親は離婚しています。
そのため、父親についての記憶はほとんどないと語っています。
インタビューでは「物心ついた時から母親と2人のイメージ。
親父の記憶もないし、友達の家に行っても、お父さんとお母さんがいる環境が僕には不思議だった」と述べています。
幼稚園の頃に実家のお店の店番をした記憶があるという情報もあり、
父親は小売店や飲食店を経営していた可能性も考えられます。
父親の現在について
田中圭さんの父親が現在も存命かどうかについては、確定的な情報はありません。
一部では「田中圭さんの父親は亡くなっている」という噂もありますが、
田中圭さん自身が「父親が亡くなった」と公に発言した記録は見つかっていません。
母親のがん闘病や妹の死については田中圭さんが公に語っていることから、
もし父親が亡くなっているなら同様に語られている可能性があります。
そのため、父親は亡くなってはおらず、生存している可能性が高いと考えられています。
ただし、離婚後は疎遠になっていると推測されます。
田中圭の父親観
父親不在で育った経験は、田中圭さん自身が父親になった時の考え方にも影響を与えています。
自身の子育てについて「理想の父親って正直よくわからないんですが、
自分はコミュニケーションをよくとるようにしたり、
考えていることを素直に話すようにしています」と語っています。
また、「僕自身も片親で親父がいなかったから、理想の親父とか、親父ってどうあるべきっていうのがまったくなくて」
とも述べており、ロールモデルとなる父親像がなかったことに対する苦労も吐露しています。
現在、2人の娘の父親として「最後に頼ってもらえればいいや」という考えで接しており、
自分なりの父親像を模索している様子がうかがえます。
田中圭の母は癌で亡くなってる!

田中圭さんにとって母親は特別な存在でした。
母親との強い絆や彼女の人生、そして田中圭さんの人生への影響について、詳細にまとめました。
田中圭さんの母親についての基本情報として、以下のことが明らかになっています。
- 2018年1月15日に65歳でがんによって他界
- 田中圭さんが8歳の時に夫と離婚
- 田中圭さんと亡くなった妹を女手一つで育てた
母子家庭での子育て
田中圭さんの母親は、夫との離婚後、女手一つで田中圭さんを育てました。
「母子家庭という理由で息子に悲しい思いはさせない」をモットーに、一生懸命働いてきました。
田中圭さんが通っていた渋谷教育学園幕張中学校・高等学校は私立の名門校で、
年間学費が80万円ほどかかる学校だったと言われています。
母子家庭にもかかわらず、息子に良質な教育を受けさせることを優先していたことが伺えます。
また、子供の頃に様々な習い事(バイオリン、ピアノ、書道、絵画、バスケットボール、サッカーなど)
を受けさせていたことからも、母親がどれだけ仕事で頑張っていたかがうかがえます。
息子への思い
田中圭さんと母親の関係は非常に深いものでした。
田中圭さん自身も「母子家庭だったこともあって、母には溺愛されて育った」と語っています。
彼は母親に対して深い感謝の気持ちを抱いており、
「今の俺があるのは全部母ちゃんのおかげ。母子家庭で嫌な思いをしたことは一度もない」と述べています。
しかし、それは時に過干渉にもなりました。
「僕に対する愛情が強すぎて、やたら干渉してくる母親だった」
「勝手に携帯を見たりするんで、まあケンカになりますよね」と田中圭さんは語っています。
特に5歳の時に妹を病気で亡くしたことから、母親は田中圭さんを余計に大事にしていたと思われます。
芸能界デビューのきっかけ
田中圭さんが芸能界に入るきっかけを作ったのも母親でした。
高校1年生の時に靭帯を傷めて、それまで打ち込んでいたバスケットボールを続けられなくなり、
無気力になっていた田中圭さんに対し、母親はオーディションへの応募を勧めました。
「5000円お小遣いあげるから、刺激を受けに行ってこい」と
芸能オーディションに勧めたという微笑ましいエピソードもあります。
そのオーディションではグランプリは逃したものの、審査員の目に留まり、
現在の事務所を紹介されたことが芸能界入りのきっかけとなりました。
がん闘病と最期
2017年の夏、田中圭さんの母親はがんと診断されます。
検査結果が出た時点ですでにステージが進行していましたが、前向きに治療に取り組んでいました。
2018年の正月には、がんとは思えないほど元気に中トロとカニを食べるなど、
闘病生活の中でも前向きな姿勢を見せていました。
しかし、その後急変。2018年1月15日に65歳で亡くなりました。
田中圭さんが病院に駆けつけた時、母親は意識はあるものの話すことができない状態でした。
そんな状況の中、田中圭さんは母親の手を握りしめ、
「俺、役者として絶対に成功するから」と涙ながらに誓ったと言われています。
母の死が息子に与えた影響
母親の死は田中圭さんに大きな影響を与えました。
特に注目すべきは、彼が母親の死を公に語ったのは、一周忌を目前に控えた頃だったことです。
プライベートな悲しみを仕事中に表に出すことなく、プロフェッショナルとして活動を続けていたのです。
母親の死後、田中圭さんは2018年放送の『おっさんずラブ』で大ブレイクを果たしますが、
母親にその成功を見せることはできませんでした。
「今年の僕の状態を誰よりも願ってくれていたのが母ちゃんだったから、
母ちゃんのためにも後悔しない人生を送らないと」と語っています。
また、母親の死は田中圭さんのお花に対する考え方にも変化をもたらしました。
以前はドラマのクランクアップなどでもらった花束を「誰か会った人や、立ち寄ったお店にあげていた」そうですが、
母親の墓にお花を供えるようになってから、「誰かを想いながら花束を作るという体験」を初めてし、
お花への興味が生まれたと語っています。
田中圭の妹は病気で亡くなっている!?

田中圭さんの妹についての情報は限られていますが、
提供された資料をもとに、分かっている事実と田中圭さんの人生への影響についてまとめました。
田中圭さんには妹が1人いましたが、田中圭さんが5歳のときに病気で亡くなっています。
詳しい情報は以下の通りです。
- 田中圭さんが5歳の時に病気で他界
- 妹の名前や具体的な年齢は公表されていない
- 病名も具体的には明かされていない
妹の死因について
提供された資料では妹の死因について「病気」と記載されていますが、
具体的な病名については明らかになっていません。
ある資料では「不慮の事故」とも記載されていますが、
田中圭さん自身が「妹を病気で亡くした」と語っていることから、病気が原因であった可能性が高いと考えられます。
5歳頃の子どもは体の免疫システムが発達途上であり、様々な病気にかかるリスクがあります。
当時の医療水準では治療が難しかった病気であった可能性もあります。
田中圭への影響
妹の死は、田中圭さんの人生や家族関係に大きな影響を与えました。
田中圭さん自身が「僕が5歳のときに妹を病気で亡くしたんで、余計に大事にされていたのだと思う」
と語っているように、妹を失った母親は田中圭さんを過保護に育てる傾向がありました。
この経験は、田中圭さんの母親との関係にも影響し、母親は田中圭さんに対して非常に保護的になり、
時に過干渉とも言える行動をとることがありました。
「僕に対する愛情が強すぎて、やたら干渉してくる母親だった」
「勝手に携帯を見たりするんで、まあケンカになりますよね」と語っています。
しかし、田中圭さんは母親の過干渉も「妹を失った母親の悲しみからくるもの」と理解し、受け入れていたようです。
妹の記憶
田中圭さんが5歳という幼い頃に妹を亡くしているため、
妹との思い出や記憶についてはほとんど語られていません。
田中圭さん自身も「兄妹の思い出はない」と述べているそうです。
幼い頃の記憶というのは断片的になりがちで、特に悲しい出来事は記憶から薄れていくこともあります。
また、公の場で妹について多くを語らないのは、
プライバシーへの配慮や家族の悲しい記憶を尊重する姿勢からかもしれません。
田中圭の妻はさくら!

田中圭さんの妻であるさくらさんについて、詳しく解説します。
彼女のプロフィールから田中圭さんとの出会い、結婚生活に至るまでの情報をまとめました。
- 名前: さくら(旧芸名)
- 本名:杉安広美
- 生年月日: 1983年8月31日
- 年齢:41歳(2025年4月現在)
- 出身地: 愛知県名古屋市
- 職業: 元女優、モデル、タレント(2016年に芸能界引退)
- 結婚: 2011年8月31日に田中圭さんと結婚
芸能活動の経歴
さくらさんは愛知県名古屋市の出身で、地元では本名の「杉安広美」名義でモデルやタレント活動をしていました。
2003年に女優を目指して上京し、芸名を「さくら」と改めて活動を始めました。
芸名の由来は、所属していたセントラルジャパンの社長が飼っていた犬の名前からとったものだそうです。
主な出演作品には以下のようなものがあります。
- バラエティ番組『恋するハニカミ!』(レギュラー出演)
- ドラマ『瑠璃の島』
- ドラマ『貞操問答』
- 映画やCMなど
さくらさんは明るい人柄と美しいルックスで人気を集めていましたが、2016年12月31日に芸能界を引退。
以降は家庭に専念しています。
田中圭との出会いと馴れ初め
田中圭さんとさくらさんの出会いは、2010年1月に放送されたドラマ『まっすぐな男』での共演がきっかけでした。
このドラマで田中圭さんは主人公の同期役、さくらさんは同じ会社のOL役として出演していました。
ドラマ内では特に絡みが多いシーンはなかったものの、ドラマ終了後の打ち上げで意気投合し、
連絡先を交換したことから交際が始まりました。
田中圭さん自身が「女性と2人きりは苦手」と語っているように、
彼は自分から積極的にアプローチするタイプではないようです。
「自分から好きですと言ったことがなくて…皆と遊んでいて、
いつの間にか好きになっていて…気付いたら2人になっていて…」と交際の始まりについて語っています。
約1年半の交際を経て、さくらさんの妊娠を機に2011年8月31日に結婚。
田中圭さんが27歳、さくらさんが28歳の時でした。
夫婦生活と家族
田中圭さんは愛妻家として知られており、「月に1〜2回は妻に花束を贈る」と語っています。
ドラマや映画の撮影現場でもらった花束を
「これ、お前のために買ってきたよ」と冗談交じりに渡すこともあるそうです。
家庭での役割分担も良好で、休日には家族との時間を大切にしています。
例えば:
- 休みの前日は、子供が寝静まってから夫婦水入らずの時間を作る
- 田中圭さんのランニングコースをさくらさんと一緒に走る
- 長女の塾の送り迎えに、さくらさんと次女を乗せてプチデートする
- 結婚記念日には子供を預けて外食を楽しむ
さくらさんの人柄
田中圭さんは妻・さくらさんについて
「嫁はいつも励ましてくれる。あいつは変わってるんですよね、何事にも動じないというか、
人に何を言われても気にしない。自分が信じるものだけ信じる」と語っています。
また「かといって他人の意見を聞かずに一直線になるわけじゃないから、本当に弱ったときは相談しやすくて」
とも述べており、田中圭さんにとってさくらさんは心の支えとなっているようです。
特に、田中圭さんの母親が亡くなった時など、困難な時期を支えてきたのもさくらさんでした。
家庭での様子
田中圭さんによれば、さくらさんと娘たちはよくガールズトークを楽しんでいるそうです。
「僕の前だとほんとバカやってる感じなんですけど、僕がいない時とかだと、恋バナとか。
なんかメークの話とか、凄いしているらしくて」と明かしています。
さくらさんは娘たちにとって信頼できる相談相手であり、家庭内での女性同士の絆も深いようです。
田中圭さんはそんな家族の様子を温かく見守っています。
田中圭の子供は娘が2人!

田中圭さんには2人の娘さんがいます。
彼のプライベートについては情報が限られていますが、インタビューや報道で明かされた情報をもとに、
田中圭さんの子育ての様子や子供たちとのエピソードについてまとめました。
田中圭さんとさくらさんの間には2人の娘がいます。
- 長女: 2012年2月6日生まれ (2025年現在13歳)
- 次女: 2016年8月3日生まれ (2025年現在8歳)
子供たちの名前は公表されておらず、SNSやメディアでも顔出しを控えています。
これは子供たちのプライバシーを守るための配慮と考えられます。
パパとしての呼ばれ方
田中圭さんは子供たちから「パピ」と呼ばれています。
テレビ番組などでこのエピソードを語る際には、「娘たちが『パピ』と呼んでくる」と話しており、
その呼び方にも親しみが感じられます。
子育てに対する考え方
父親不在で母子家庭育ちの田中圭さんにとって、「理想の父親像」は特にありませんでした。
「僕自身も片親で親父がいなかったから、理想の親父とか、
親父ってどうあるべきっていうのがまったくなくて」と語っています。
しかし、自身が父親となった今は「最後に頼ってもらえればいい」と考え、娘たちとの関係を築いています。
子供たちが「何かあったときに『最後、パピに聞こう』と言ってくれる」ことを大切にしていると語っています。
父親としてのスタイル
田中圭さんは「娘には厳しくもなく、甘々でもない」と自己評価していますが、
周囲からは「めっちゃ甘い」と言われることもあるようです。
子供たちのために時間を作り、一緒に遊ぶことを大切にしています。
仕事が忙しい中でも、まとまった休みが取れる時は家族との時間を優先して計画を立てる様子が伺えます。
長女の女優デビュー
長女が2歳の時に「テレビに出たい」と言い出したことがあります。
「なんでパピだけテレビの中にいれるの?私も出たい」という娘の言葉に、
田中圭さんは出演していたドラマ『ドクターX』の幼稚園のシーンでエキストラとして出演させました。
しかし、セリフなしの役で他の子役たちが演技に慣れている中、長女はキョトンとするばかり。
田中圭さんは「心の中で頑張れ!頑張れー!と必死でエールを送っていました」と当時を振り返っています。
撮影後、長女に「どうだった?」と聞いたところ、
「もうお仕事はこりごり!もうテレビはいい!」と言われたというエピソードも明かしています。
クレーンゲームのエピソード
オフの日に長女とデートした際のエピソードも語られています。
クレーンゲームで10回も失敗した田中圭さんに、娘は「とれるまでやってー」と駄々をこねたそうです。
田中圭さんが「おもちゃを買いに行く予定だったのに、お金がなくなっちゃったよ」と言うと、
娘は「今すぐやめてー」と言い、それを受けた田中圭さんが「とれるまでやれるよ」といじわるすると、
「もうパピとは遊ばない」と言われたという微笑ましいやり取りがあったそうです。
子育てと仕事の両立
多忙な俳優業と子育ての両立は簡単ではありません。
しかし田中圭さんは、家族との時間を大切にしようと意識しています。
特に母親を亡くした経験から、家族との時間の大切さを実感しているようです。
コロナ禍で仕事がストップした時期には、
普段あまり取れない家族との時間をゆっくり過ごすこともできたといいます。
田中圭のプロフィール

- 名前:田中 圭(たなか けい)
- 生年月日:1984年7月10日
- 年齢:40歳(2025年4月現在)
- 出身地:東京都
- 身長:178cm
- 血液型:O型
- 所属事務所:トライストーン・エンタテイメント
- 学歴:渋谷教育学園幕張中学校・高等学校卒業
- 趣味:バスケットボール、乗馬、スキューバダイビング
まとめ
田中圭さんは、壮絶な家族の歴史を持ちながらも、前向きに生きる強さを持った俳優です。
幼い頃に妹を亡くし、両親の離婚を経験し、母子家庭で育ちました。
女手一つで育ててくれた母親も2018年にがんで亡くなり、大きな喪失を経験しています。
しかし現在は、妻・さくらさんと二人の娘に恵まれ、幸せな家庭を築いています。
父親不在で育った自身の経験から、よりよい父親像を模索し、家族との時間を大切にしている姿が印象的です。
数々の困難を乗り越え、トップ俳優として活躍する田中圭さん。
その明るく前向きな姿勢の裏には、こうした家族への深い愛情があるのかもしれません。
今後も俳優としての活躍はもちろん、一人の父親・夫としての姿にも注目したいと思います。



コメント