俳優の吉田鋼太郎さんは、ダンディで渋い演技で多くのファンを魅了する一方で、
プライベートでは波瀾万丈な人生を歩んできました。
本記事では、吉田鋼太郎さんの家族構成について、
父親・母親・兄弟から、4度の結婚歴、子供たち、そして実家の情報まで、徹底的に解説していきます。
吉田鋼太郎の家族構成まとめ!

- 父親
- 母親
- 本人:吉田鋼太郎さん
- 長男:現在30歳前後(2人目の妻の子)
- 妻:(4人目の妻)
- 長女:2021年3月生まれで現在4歳
- 次女:2025年1月27日に誕生した生後9ヶ月
吉田鋼太郎さんの現在の家族構成は、非常に複雑で興味深いものとなっています。
1959年1月14日生まれの66歳である吉田さんは、
4度の結婚を経験し、現在は4人目の妻と円満な家庭生活を送っています。
現在の家族構成は以下の通りです。
本人である吉田鋼太郎さん、22歳年下の現在の妻、そして3人の子供たちから成ります。
2度目の結婚で授かった長男は現在30歳前後で、早稲田大学を卒業した頭脳明晰な青年に成長しています。
4度目の結婚で授かった長女は2021年3月生まれで現在4歳、
そして2025年1月27日に誕生した次女は生後9ヶ月となります。
吉田さんは2016年に現在の妻と結婚し、62歳で長女を、
66歳で次女を授かるという高齢での子育てに奮闘しています。
異母兄弟である3人の子供たちは、それぞれ母親が異なりますが、
吉田さんは全ての子供たちと良好な関係を築いています。
吉田鋼太郎の父親の職業は商社マンでお金持ちだった!?

吉田鋼太郎さんの父親は一般人であり、詳しい名前や顔写真は公開されていません。
しかし、インタビューや取材で語られた父親像からは、穏やかで優しい人柄が浮かび上がってきます。
父親は上智大学の出身で、大手商社に35歳まで勤務していました。
商社マンとして順調にキャリアを積んでいた父親でしたが、35歳で一念発起し、
自身で事業を起こす決断をします。
しかし残念ながら事業はうまくいかず、吉田さんが中学生になる頃には母親の収入で家計を支える状況となりました。
吉田さんは父親について、「穏やかで優しい人だった」と振り返っています。
事業に失敗した後も家族に対して暴力的になることはなく、
温厚な性格を保ち続けた父親は、吉田さんにとって尊敬できる存在だったようです。
また、父親の名前には「鐵」という漢字が入っており、
それより優れた金属ということで「鋼」の字を使い、
長男であることから「鋼太郎」と名付けられたというエピソードも残っています。
父親自身が上智大学の卒業生だったこともあり、
吉田さんが同じ上智大学に進学したことを大変喜んでいたといいます。
芸術への理解もあり、吉田さんが俳優の道を選んだことについても温かく見守っていたようです。
吉田鋼太郎の母親の職業は書道教室の先生!?

吉田鋼太郎さんの母親も一般人であり、名前や顔写真は公開されていません。
しかし、母親は吉田さんの人生において非常に大きな影響を与えた存在でした。
母親は芸術家肌の人物で、若い頃は絵描きになることを夢見ていました。
夫の事業が失敗した後、家計を支えるために働く必要に迫られた母親は、驚くべき行動力を発揮します。
なんと1年間で書道の師範資格を取得し、書道教室を開いて家族を支えたのです。
吉田さんの母親は、躾に関して非常に厳しい人でした。吉田さんは長男だったこともあり、
あらゆることで母親から注意を受けて育ちました。
挨拶をきちんとすること、食事の作法を守ることなど、
社会に出たときに恥ずかしくないようにと、厳しく教育されたといいます。
当時の吉田さんは厳しさに戸惑うこともありましたが、
後年になって「社会に出たときに恥ずかしくないようにしつけてくれた。とても感謝しています」と述懐しています。
母親は自身が絵描きを目指していた経験から、芸術方面には深い理解を示していました。
吉田さんが俳優を志し、せっかく入学した上智大学を中退することになった際も、
反対することなく応援してくれたそうです。
母親は吉田さんの舞台には必ず足を運び、息子の活躍を見守り続けました。
興味深いエピソードとして、母親は吉田さんがテレビに出演するようになると
「あなた最近テレビに出始めてるけど、舞台でしょ、あなたの仕事は」と厳しく言っていたそうです。
しかし、母親が亡くなった後、友人から「出演するテレビ番組を必ず見ていた。すごく喜んでいた」と聞き、
吉田さんは母親の本当の気持ちを知ったといいます。
厳しさの裏にある深い愛情を感じさせるエピソードです。
吉田鋼太郎の兄弟はいる!?

吉田鋼太郎さんの兄弟に関する情報は、公開されている範囲ではほとんど見つかりませんでした。
吉田さん自身が「長男」として育てられたことは明らかになっていますが、
弟や妹の存在については言及されていません。
息子が浪人したときに「吉田家には浪人したやつはいない」と発言していることから推測すると、
少なくとも兄弟の中で浪人した人はいなかったようです。
しかし、これが「兄弟がいない」ことを意味するのか、
「兄弟も全員現役合格だった」ことを意味するのかは不明です。
一般的に長男として厳しく育てられたという記述から、
弟や妹がいた可能性もありますが、確実な情報はありません。
吉田さん自身も兄弟についてメディアで語ることがないため、プライバシーを守っている可能性が高いでしょう。
吉田鋼太郎は4度の結婚していて、現在の妻と歴代の妻たちとは!?

現在の妻(4人目)
吉田鋼太郎さんは2016年1月1日、22歳年下の一般女性と4度目の結婚をしました。
当時吉田さんは56歳、妻は34歳でした。
現在の妻は大阪出身で、身長は167センチほどのスレンダー美人だと報じられています。
顔立ちは女優の吉田羊さんに似ているとも言われています。
妻の職業は銀座のクラブのママで、バブル崩壊後に20年間破られなかった
「最年少・最短での銀座ママ」の記録を更新した伝説的な人物ではないかと噂されています。
2人の出会いは2015年9月、知人主催のパーティーでした。
銀座のクラブに勤めていることを知った吉田さんは、
彼女目当てで店に通い始め、猛烈にアタックしたといいます。
その際、仲の良い小栗旬さん、藤原竜也さん、八嶋智人さんなどの俳優仲間を店に連れて行き、
良いところを見せようとしたというエピソードも残っています。
同年12月に吉田さんがプロポーズし、2016年の元日に入籍しました。2017年2月には結婚式も挙行しています。
吉田さんは2018年に出演した「徹子の部屋」で、
妻の人柄について「明るくて、あまりものごとにこだわらない性格」と紹介しています。
「ケンカしてもすぐに仲直りできる」とも語っており、良好な夫婦関係を築いていることがわかります。
結婚後、吉田さんの生活習慣にも変化が現れ、
「外に飲みに行く時間が減り、家にいる時間が長くなった」と語っています。
2021年3月には長女が誕生し、2025年1月27日には次女も誕生しました。
妻は現在、4歳の長女の保育園送迎や世話をしながら、生後間もない次女の育児にも奮闘しているようです。
吉田さんは別荘で次女とワンオペ育児を行うなど、夫婦で協力しながら子育てに励んでいます。
1人目の妻(事実婚)
吉田鋼太郎さんの最初の結婚は、上智大学在学中の20歳のときでした。
1979年頃のことです。
相手は同じ大学のシェイクスピア研究会で一緒だった女性で、8歳年上でした。
当時すでに社会人だった彼女から、金銭的な援助も受けていたそうです。
高校時代を全寮制の男子校で過ごした吉田さんは、女性への免疫がほとんどありませんでした。
大学に入って「完全なリバウンド」状態になり、
「見る女の人がみんな初めての女みたいな…『みんなきれい!』って思っちゃった」と後に語っています。
初めて好きになった人と結婚するべきだと純粋に考えていた吉田さんは、
「一時たりとも離れていたくない」という思いから結婚を決意しました。
2人は結婚式を挙げましたが、その後籍を入れる前に破局を迎えます。
若くして俳優の道を歩み始めた吉田さんは仕事が忙しく、愚痴を聞いてほしいと妻に甘えすぎてしまったようです。
入籍前に妻が家を出て行ってしまい、事実婚のまま短い結婚生活は終わりを告げました。
2人目の妻
2度目の結婚相手は、芝居関係の仕事をしていた一般女性でした。
1990年代に入籍し、1997年頃には第一子となる長男が誕生しています。
吉田さんにとって初めての子供であり、父親になった喜びも大きかったことでしょう。
しかし、息子が2歳になった頃、妻は家財道具一式を持って家を出て行ってしまいます。
離婚の原因は、吉田さん自身が認めているように、酒癖と女癖の悪さでした。
「結局、浮気するでしょ、俺が」「奥さんがいるのに、女作ってアパート借りて住んじゃったりするから」と、
後に赤裸々に語っています。
離婚後、長男の親権は母親が持ちましたが、完全に疎遠になったわけではありませんでした。
しばらく音信不通の時期もありましたが、
その後元妻と息子が一緒に吉田さんの舞台を見に来てくれたこともあったそうです。
吉田さんは2〜3ヶ月に一度のペースで息子と会い、食事をするなどの交流を続けました。
興味深いことに、元妻は吉田さんの母親が亡くなった際、葬儀に駆けつけてくれたといいます。
母親には大変世話になったという感謝の気持ちがあったのでしょう。
3人目の妻
3度目の結婚についての情報は非常に限られています。
相手は年下の舞台関係の女性だったとされていますが、詳細は公表されていません。
馴れ初めや結婚時期、離婚時期なども明らかになっていません。
3度目の結婚が発覚したのは、2016年に現在の妻と4度目の結婚をした際の報道からでした。
離婚理由についても公には語られていませんが、過去の離婚と同様、
吉田さんの酒癖や女癖が関係していた可能性が指摘されています。
3度目の離婚後、吉田さんは元宝塚歌劇団の安蘭けいさんと交際していました。
2人は同棲もしており、結婚間近とまで報じられましたが、最終的には破局しています。
安蘭けいさんとの破局から約5ヶ月後に、現在の妻と出会い、スピード結婚に至りました。
吉田鋼太郎の子供は3人いる!

長男(2人目の妻との子供)
吉田鋼太郎さんの第一子は、2度目の結婚で授かった男の子です。
1993年から1997年頃に生まれたと推定され、2025年現在では28歳から32歳前後と考えられます。
2017年のインタビューで「大学生の息子がいる」
「一浪して希望の大学に入った」と語っていたことから、年齢の推定が可能です。
長男は一般人のため、名前や顔写真は公開されていません。
両親の離婚によって母親に引き取られましたが、父親である吉田さんとの関係は良好です。
数ヶ月に一度は会って食事をし、吉田さんは息子に車を貸すこともあったそうです。
免許を取りたての頃は、車をボコボコにして返してきたというエピソードも語られています。
長男の学歴については、非常に興味深い話があります。
大学受験で一浪が決まった際、
吉田さんは「吉田家には浪人したやつはいない!バカなんじゃないかお前は!」と激しく叱責し、
親子喧嘩になってしまいました。
息子は大変傷つき、怒りを覚えたといいます。
しかし、この出来事が息子の奮起を促しました。
「バカ」と言われたことが悔しくて猛勉強した結果、息子は見事に早稲田大学への合格を勝ち取ります。
吉田さんは合格を聞いたとき、
「あらためて僕、心から後悔したんですよね、バカだと言ったことを」と振り返っています。
息子の努力と成功を誇りに思うとともに、自分の発言を深く反省したのです。
ちなみに、吉田さん自身も上智大学に進学した高学歴の持ち主です。
高校生のときにシェイクスピア喜劇を観て俳優を志し、
上智大学在学中に初舞台を踏みましたが、演劇にのめり込んだために大学を中退しています。
長男の現在の職業については明らかになっていませんが、早稲田大学を卒業した優秀な青年に成長しており、
父親に憧れて同じ演劇の世界に入っている可能性もあるかもしれません。
長女(4人目の妻との第一子)
2021年3月に誕生した長女は、吉田鋼太郎さんにとって第二子となる子供です。
吉田さんが62歳のときに授かった娘で、2025年10月現在は4歳になります。
現在の妻との間に生まれた初めての子供であり、吉田さんにとっては待望の女の子でした。
長女についても一般人のため、名前や顔写真は公開されていませんが、
吉田さんは取材のたびに娘のノロケ話をするほど溺愛しています。
「ものすごく可愛いですね」と満面の笑みで語る吉田さんの姿は、多くのメディアで報じられています。
長女は吉田さんと性格が似ているようで、「まず声が大きいですね。3歳にして腹から声が出ています」
「それから我が強い。僕も役者をやっていますから我が強い方なんですね、きっと」
「人の話を聞かない」と、溺愛の様子が伝わるコメントを残しています。
お絵描きが好きで、楽器や音楽に合わせて踊るのも好きだそうで、アーティスト性も垣間見えます。
最近は「ママ、ママ」とお母さんにべったりの時期で、寝るときや朝起きたときは特に母親を求めるそうです。
「寝起きで僕の顔を見ると泣く」というプチ”パパイヤ期”を迎えており、
「昼間はくっついているので寂しい」と漏らしています。
60歳を過ぎての子育てということもあり、
「よく一緒に道を歩いていると『お孫さんですか?』と言われて。ちょっと嫌な気持ちになる」
というエピソードも明かしています。
「可愛いからずーっとこのままでいてほしいという思いもするし、
早く大きくなった姿も見てみたいし、いろいろ複雑な心境です」と、
親なら誰もが思う気持ちを素直に語っています。
長女は「パパお願い」とおねだり上手で、おもちゃやお菓子が欲しいときにおねだりされると、
吉田さんは目尻を下げて「いいよ」「全然いいよ〜買おっ♡」と
何でも許可してしまう激甘パパぶりを発揮しているそうです。
現在は保育園に通っており、日中は母親が面倒を見ています。
小栗旬さんとはパパ友で、「小栗くんの子どもがうちに来て遊んでいったり、
うちの子を小栗くんのところに預けたり、持ちつ持たれつでやっています」と、
家族ぐるみの付き合いも明かしています。
吉田家と小栗家で一緒にディズニーランドへ行ったこともあるといいます。
次女(4人目の妻との第二子)
2025年1月27日に誕生した次女は、吉田鋼太郎さんにとって第三子となる子供です。
吉田さんが66歳のときに授かった娘で、2025年10月現在は生後9ヶ月です。
次女の誕生は、2025年7月10日に行われた「ティファニー銀座」オープニングイベントで初めて公表されました。
「最近、自身が輝いた瞬間」を聞かれた吉田さんは、
「ちょっと今、長めの休みをいただいていて……えー、娘、が。おりまして。次女、です」
「0歳なんですけど今ワンオペで子育てしておりまして。
そうすると本当に、娘と2人っきりの時間というのが、もう輝いています」と初告白しました。
「これね、言ってないんですよね。公にしてないんですけど、
思わず言っちゃったんですけど、これどうなんですかね。
いいのか? そんなに悪いことではないので大丈夫だと思うんですけど」と、
やや困惑しながらも本当にうれしそうな表情を浮かべていました。
次女の誕生と子育てについて、「今年の1月27日に生まれまして、今5ヶ月なんですよ。
長女は保育園がありますので自宅で母親が面倒見てるんですが、
(自分は)別荘で0歳の娘と今、5日くらい暮らしてまして。
すごい今、輝いてます。これいいのかな?(笑)」と説明し、幸せそうな笑顔を浮かべていました。
降壇後にはすぐにマネージャーら関係者に許可取りをしていたといい、
「ちょっとマネジャーに怒られるかもしれない」とジョークを飛ばす場面もありました。
66歳での子育てということで、娘が18歳になったら吉田さんは84歳になります。
「長生きしたいね」と父親になる喜びを噛み締めている吉田さん。
生まれたばかりの次女にもきっとメロメロになっていることでしょう。
とにかく子煩悩で知られる吉田さんは、別荘で次女とのワンオペ育児を楽しみながら、
幼い2人の娘たちとの時間を大切にしています。
吉田鋼太郎の実家はお金持ち!?

吉田鋼太郎さんの実家は、大阪府と東京都にまたがる複雑な背景があります。
公式プロフィールでは「大阪府生まれ、東京都日野市出身」となっていますが、これには理由があります。
吉田さんは1959年1月14日、大阪府で誕生しました。
小学生時代の6年間を大阪で過ごし、その間に関西弁に馴染んだそうです。
吉田さんといえば関西弁の印象が強いのは、この幼少期の経験によるものです。
中学校に上がるタイミングで、一家は東京都日野市に移りました。
日野市立日野第三中学校に進学し、その後は日野市で育ちました。
実家の詳しい場所や住所は公表されていないため不明ですが、日野市内にあったことは確かです。
実家の家族構成は、父親、母親、そして長男である吉田鋼太郎さんという構成だったようです。
兄弟の有無については明確な情報がありませんが、吉田さんが「長男」として厳しく育てられたことは確かです。
実家のエピソードとして印象的なのは、母親の教育方針です。
厳しい躾を受けた吉田さんですが、それは社会に出たときに恥ずかしくないようにという愛情の表れでした。
また、母親が吉田さんの舞台には必ず足を運んでいたこと、
テレビ出演を表向きは批判しながらも実は毎回録画して喜んで見ていたことなど、
家族の深い愛情が感じられるエピソードが残されています。
現在、吉田さんは東京の高級住宅街にあるマンションに住んでいると言われています。
以前は広さ200平方メートル前後で家賃月100万円以上する超高級マンションで生活していましたが、
ペットの鳴き声が原因で現在のマンションに引っ越したと週刊誌に報じられていました。
別荘も所有しており、次女とのワンオペ育児をそこで行うなど、
仕事と家族の時間をバランスよく過ごせる環境を整えているようです。
吉田鋼太郎のプロフィール!

- 名前: 吉田鋼太郎(よしだ こうたろう)
- 生年月日: 1959年1月14日
- 年齢: 66歳(2025年10月現在)
- 出身地: 大阪府生まれ、東京都日野市出身
- 身長: 174cm
- 所属事務所: ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
学歴
中学校: 日野市立日野第三中学校
中学ではバレーボール部に所属し、背が高かったことから女の子にモテるタイプだったそうです。
ロックバンドも組んでおり、アコースティックギターを演奏していました。
高校: 聖パウロ学園高等学校
東京都八王子市にある全寮制の高校に進学しました。
当時は男子校で、3年間寮生活を送りました。
吉田さんは「ちょっと素行が悪かったらしいんですよ、自分ではそう思ってないんだけど」と語っており、
母親が「公立の高校に入れるとろくなことにならないだろう」と考え、
厳しく鍛え直してもらおうとこの学校を選んだそうです。
高校時代は真面目に過ごし、フォークバンドでギターを担当していました。
高校2年生の夏休み、英語の先生からシェイクスピアの『十二夜』という舞台のチケットをもらい鑑賞したことが、
人生の転機となりました。
事前に原作を読んだ時は理解できなかったものの、舞台の面白さに感動し、俳優を志すようになります。
大学: 上智大学文学部ドイツ文学科(中退)
チケットをくれた英語の先生が上智大学のシェイクスピア研究会出身だったことから、
吉田さんも同じ道を選びました。推薦入学で上智大学に進学し、シェイクスピア研究会に入部します。
大学では演劇に没頭する生活となりました。
最初の試験がサークルの公演の仕込み日と重なり、
先輩に「先輩、試験があるので仕込みに行けません」と言うと
「おまえ、仕込みと試験のどっちが大事だ」と怒られ、それ以降授業にはほとんど出なくなったそうです。
上智大学在学中、シェイクスピア研究会公演『十二夜』で初舞台を踏みました。
演劇にのめり込んだ結果、大学を中退することになりましたが、
「いつか食べていけるはずだ」という根拠のない自信で役者業を続けていきました。
母親は絵描きを目指していた経験から芸術に理解があり、父親も上智大学の出身で、
自分と同じ大学に入ったことだけで喜んでいたため、俳優の道を応援してくれたそうです。
私生活・趣味
愛車: シトロエン・DS ブレーク(過去にはポルシェ・ボクスターを所有)
ゲーム好き: 2019年に公開された『劇場版ファイナルファンタジーXIV 光のお父さん』の制作発表の場で、
自身がゲーマーであることを明かしています。
「僕らはゲーム世代。20歳くらいの時にファミコンが登場し、それに飛びついてやり始めた」と語り、
ファミコン、スーパーファミコン、プレイステーションなどすべて手を付けているそうです。
ファイナルファンタジーに関しても「1からすべてやっている」と答えています。
年収: 公表されていませんが、毎年多くの作品に出演し、CMの契約も持っているため、
年収は数千万円以上になると推定されます。
自宅: 東京の高級住宅街にあるマンションに居住。別荘も所有しており、育児のために活用しています。
まとめ
吉田鋼太郎さんの家族構成は、4度の結婚と3人の子供という複雑かつ興味深いものです。
大阪府で生まれ、東京都日野市で育った吉田さんは、上智大学出身の商社マンだった父親と、
書道の師範として家計を支えた母親のもとで育ちました。
長男として厳しく躾けられた経験は、後の人生に大きな影響を与えています。
20歳での事実婚から始まった結婚歴は波瀾万丈でした。
自ら認める酒癖と女癖の悪さから3度の離婚を経験しましたが、
2016年に22歳年下の銀座のクラブママと4度目の結婚を果たし、現在は円満な家庭生活を送っています。
66歳を迎えた今も、幼い娘たちの成長を見守りながら、
俳優としてのキャリアを重ねる姿は多くの人に勇気を与えてくれるのではないでしょうか。



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